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2008年02月02週
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 横浜の紅葉坂教会の牧師の北村慈郎さんが、未受洗者に配餐をしていることで、昨年10月の教団常議員会は、そのことを直ちに停止するか、しない場合には北村さんに牧師退任を求める決議をしました。未受洗者とか配餐とかは一般には聞きなれない言葉です。未受洗者は、まだ洗礼(バプテスマ)を受けていない人です。日本基督教団の規則に“信徒の”定義があって、「本教団の信徒は、バプテスマ(洗礼)を受けて教会に加えられた者とする」(教憲第10条)となっています。同じ教団の規則に「教会は主の日毎に礼拝を守り、時を定めて聖礼典を執行する・・・聖礼典はバプテスマおよび聖餐であって、按主礼を領した教師がこれをつかさどる」(教憲第8条)となっています。“配餐”は、聖餐(式)で、“パン”と“ぶどう酒”を配ることで、未受洗者への配餐は、洗礼を受けていない、要するに信徒ではない人に聖餐でパンとぶどう酒を配るのは規則違反だから、そのことを止めるか、さもなくば日本基督教団の教師を退任しなさいということです。規則というものは、お互いの了解の上でそれを約束したのですから守るのは当然です。しかし、どんな規則も全くすべて例外なくどんな時でも守らなければならないこともなかったり、その通りにいかなかったりするのも規則です。この場合の、未受洗者や配餐(聖餐)は、規則だから絶対守れと言い切れないのは、神の事あるいは神の前での人としての約束ないしは決定であってみれば、全くすべて例外なく絶対であるとはなりにくいからです。
日本基督教団の規則では、配餐は“洗礼を受けた信徒”となっているところを、およそ1/3くらいの教会では、未受洗者にも配餐し、例えば、北村慈郎さんが未受洗者への配餐を直ちに止めるか、さもなくば牧師を退任しなさいと迫られることになった、昨年10月の教団常議員会には、北村慈郎さん以外にも未受洗者に配餐している教会があって、その教会の牧師も確かにそこにはいました。


 西宮公同教会も未受洗者に配餐をしています。しかも、教憲第8条「・・・按手礼を領した教師」にも“違反”する牧師が、未受洗者に配餐するという2重の規則違反をしています。西宮公同教会も牧師も(西宮公同教会の“牧師”の場合、教団の規則では補教師・伝道師)、教団の規則のこの2項以外のことはほぼ守っています。そして、この2項について守るつもりがなかったりするのは、規則によって守られて、この仕事ができるものではないと受けとめているからです。なるほど、特定の宗教団体(この場合は、日本基督教団というキリスト教の教派)に所属するのですから、その組織の規則を尊重するのは当然ですが、だからと言って全く全て例外なくどんな時も従うということにはならない方がいいのです。事が、すぐれて“信”に関わることであれば、あれやこれやと迷うのが自然で、 “確信”を持続するなどということは、むしろ危ないと思っています。“不確かな”人として神の前に立ち、不確かなりに力を尽くして生きることはできるかもしれません。なのに、未受洗者と見下したりするのは神の前に立つ人として謙虚だとは言えません。更に、未受洗者へ配餐によってその牧師を裁くことで、さらけ出しているのは人としての了見の狭さです。


 昨年10月の教団常議員会で北村慈郎さんに牧師退任を求める決議をした時、同じように教団の規則を破っている牧師がいましたが、誰も自分がそうだと口にしませんでした。キリスト教という宗教を仕事にしていて、その職場である教会には、そのキリスト教についての理解をそれぞれに持って、特にそれが“信”に関わることですから、譲れないという人もいたりします。そんな職場で仕事をしているのですから、自分の“信”に関わる立場や、主張だけで牧師が生きられなかったりするのは、どんな職場のどんな場合とも変わりません。それでも、その規則を破ったということで“退任しなさい”と言われたりする場に、同じように規則違反をしている自分が居合わせた時、とれそうな態度はあるように思えます。確信を持って、それが正しいなどと主張しないまでも、未受洗者にも配餐となってしまっている現実をそれなりに認め、“それしかしなかったのです・・・ごめんなさい”などと、例えば涙を流すお芝居で北村慈郎さんを応援するぐらいは、できたはずです。弱さをさらけ出すことは即ちもろいということにはならないのです。(500年前、中世だったら未受洗者への配餐は“火あぶりの刑”でした。今時、そんなことをしたら立派に犯罪です。未受洗者への配餐を規則違反と決め付けるのはそもそも時代錯誤なのです)。
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