2008年2月12、13日に開催された、第35総会期第4回常議員会で、未受洗者の配餐のことについての、“北村慈郎教師に関する件”が改めて議題になりました。12月31日を期限とする勧告に応じなかった北村慈郎さんに“戒規”をにおわせながら6月20日を期限に再勧告をしていて、そのことの報告が議題になって了承されるという内容でした。北村慈郎さんは、12月31日を期限とする勧告には応じなかったこと、6月20日にとされる再勧告にも応じないこと、そして未受洗者への配餐を行ってきた経緯についてもこの常議員会で改めて述べることになりました。山北宣久教団議長や、議長の見解を支持する常議員からは、それが教団の教規の定めていることであり、教規違反をするなら辞任しかないなどの主張が繰り返されました。辞任勧告に反対する常議員からは、この問題の取り扱いが不当であるとの意見が強く述べられました。という、2007年10月の常議員会でのやり取りを繰り返すことになり、何一つ理解を深めることも進展も見られませんでした。
そうして理解を深めることも進展も見られなかったということで、実はこのキリスト教宗教団体が、時代の中で生き、時代を引き受け、時代に立ち向かう気概も力も持ち合わせていないと言う意味で深刻なように思えます。あるいは、そのことに気付いていないことの深刻さです。 “未受洗者への配餐”は、その宗教団体の規則が守られたか否かということでは“内部”の問題です。徹底して“内部”の問題として扱う力が働いて、規則違反が問われることになりました。2月12、13日の教団常議員会で、北村慈郎さんは“未受洗者の配餐”を停止することも、教師辞任勧告に応じるつもりもないことを改めて述べていました。規則違反を問われるとしても、北村慈朗さんが譲るつもりがないのは、配餐のことで内と外をへだてることに疑問を持つことから始まった、人を見つめ人のことを引き受ける覚悟に、そもそも内も外もあり得ないことの気づきが、“未受洗者への配餐”になっているからです。
いくつかの経緯があって、学校などで“君が代”を歌うこと、教えることが強制されるようになってしまいました。たとえば教師が、歌うこと、教えることを拒んだりした場合、処分の対象になります。思想・信条や政治的立場などで、“君が代”を歌わないこと、教えないことを選ぶ教師もいるのでしょうが、子どもと生きる現場の教師であることに誠実であろうとすれば、何であれ子どもたちに無条件に強いてしまうことが、そこでの関係を難しくしてしまうと考えるのが自然です。“対等”であることを踏みにじったところから、教育という営みは始まりようがないのですから。そして、こんな基本が許されない状況が、この国で生きる人たちを深いところで捉えてしまっている現実があります。それが意図的に作られ、たとえばそんなことの具体的な仕組みが、今回の学習指導要領の改定だったりします。これらのことが“指導される”子どもたちの現場で、教師が心を痛めることになるとすれば、もちろん自分たちの思想・信条であったりもするでしょうが、それより何より、自分たちの言葉や思いが子どもたちに届きにくくなることのように思えます。
北村慈郎さんが立っている位置は、上記のような教師、あるいは子どもたちとの関係に近いかも知れません。いずれの場合も、そこで生きる生命の輝きを奪っていくのは、形ばかりの規則や制度であって、その手続きで忙殺される時間であったりします。しかし、同じように生きる生命の輝きを奪ってしまうのは、未来を代償に今日を生きることを売り渡してしまったりする態度のように思えます。たとえば、北村慈郎さんが“未受洗者への配餐”を行い、そのことで譲れないのは、そこにいる人たちを内と外にへだてることができなかったからです。世界は救えないけれども、一人の生命は救えるかも知れないこと、全く絶望にしか思えない状況であっても希望を捨てるまでのことはないということ、そんな願いや意志のことなのです。そしてもし、これが逆であるとすれば、そこで語られる未来も希望も空虚であるように思えます。
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