イエスの言動をめぐって、最初に「死に当たると断定」したのはユダヤ教の大祭司でした(マルコによる福音書14章64節)。「わたしがそれ(ほむべき者の子、キリスト)である。あなたがたは人の子が力あるものの右に座し、天の雲に乗ってくるのを見るであろう」と言ったことが、イエスの生きた時代の“戒”に著しく反し「死に当たる」ことになりました。その場合の“十字架刑(死刑)”の根拠となるのが「主の名を汚す者は殺されるであろう」(レビ記24章16節)の“主の名を汚す”だったと考えられます。出エジプト記20章2節以下の“戒”には、それが破られた場合のことは言及されません。「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない」(2節)、「刻んだ像を造ってはならない」(4節)、「それにひれ伏してはならない」(5節)、「あなたは、あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない」(7節)などがそうです。出エジプト記の「なにものも神としてはならない」と、レビ記「主の名を汚す者は必ず殺される」との理解の違い、隔たり、それが変えられる長い時間の流れがありました。「なにものも神としてはならない」位置での神との向かい合いにはそんなに多くのものが介在していません。しかし、「主の名を汚すものは必ず殺されるであろう」には、後の時代の秩序を維持することが優先される共同体のようなものが想定されます。
これらとは別に、出エジプト記21章には、「必ず殺されなければならない」ことのいくつかの事例が具体的に示されています。「人を撃って死なせた者は、必ず殺されなければならない」(12節)「自分の父または母を撃つ者は、必ず殺されなければならない」(15節)「人をかどわかした者は、これを売っていても、なお彼の手にあっても、必ず殺されなければならない」(16節)「自分の父または母を呪う者は、必ず殺されなければならない」(17節)などです。いろいろ、“殺されなければならない”が示される出エジプト記21章の場合と、出エジプト記20章の十戒の場合も、少なからず違い、隔たりはありますが、それが共同体の秩序に由来するより、一つ一つの出来事と、具体的にどう向かい合うかが問題になっているように読めます。レビ記24章が言う“なにがなんでも殺されなければならない”ではなく、戒めを破ったことで適用される罰則の不完全さにも目が行き届いているのが、出エジプト記21章です。
2008年4月10日に4人の死刑囚の死刑が執行され、ここ4ヶ月の間に10人の死刑が執行されたことになります(4月10日、朝日新聞)。厳罰化を求める声が強くなって死刑判決が多くなり、死刑囚が“留まって”きて、死刑執行が急がれることになったらしいのです。厳罰化、死刑判決・死刑執行数の増加は別のものではありません。「其の罪を悪(にく)んで人を悪まず」と言われたりしたこともありましたが、いつの頃からか罪を悪(にく)んでと人を悪まずとを峻別するということをしなくなりました。厳罰化が、この国での大きな流れになった理由の一つは、犯罪被害者・遺族の苦しみに目が向けられるようになったからだと言われます。犯罪被害者・遺族に目を注ぐことを求めるようになって、厳罰化が死刑の執行の増加なったのだとすれば、それを喜んだりできないのはもちろんです。犯罪はいつの時代にもありました。古代社会がその犯罪と向かい合う時の一つの例としての「人を撃って死なせた者は、必ず殺されなければならない」は、その時代の約束であってそれ以上の思惑が入り込む余地はありませんでした。確かに厳しかったのですが、それは約束だったのです。その場合でもいくつかのことが考慮されていました。「しかし、人がにくむことをしないのに、神が彼の手に人をわたされることのある時は、わたしはあなたのために一つのところを定めよう。彼はその所へのがれることができる」(出エジプト記21章13節)と、「ことさらにその隣人を欺いて殺す時」とを区別し避難所の存在を義務づけています。厳罰化ではなく、人が人を殺す場合のことであっても、その人と向かい合うことに於いて冷静であろうと努めています。
犯罪が凶悪化して、“其の罪を悪んで人を悪まず”などと、のんきに言っていられないのかも知れません。しかしその“罪”を裁くことにおいて、たとえばピラトは「群衆を満足させようと思って・・・イエスをむち打ったのち、十字架につけるために引きわたした」のだとすれば、そうして刑を執行してしまう社会は、人が人を人として見つめるという人の社会の意味を軽んじることになっているのかも知れません。
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