「波」(新潮社の宣伝用月刊誌)に、「研ぎ師太吉」(山本一力)が連載されているのを見つけ、毎月それをもらう為に本屋さんへ足を運ぶくらいファンになって読みつないできました。この物語で、江戸時代にそんな仕事があったことを知りました。ウデのたつ研ぎ師が“刀”を研ぐ為に侍屋敷に雇われるということもあったようです。太吉は充分なウデを持っていてましたが侍屋敷に専属で雇われる、という道を選びませんでした。町の人たちの包丁も研ぐし料理人の包丁も研ぐ、頼まれれば侍の“刀”も研ぐという具合でした。ウデはよかったのです。“研ぎ師”は、使った結果切れ味が悪くなったり刃こぼれした刃物を研ぐのですから、それを使っている人たちの内側のことが少なからず見える仕事です。という設定も、一つにして描かれた物語が「研ぎ師太吉」です。そして研ぐ技術のことはもちろん、刃物と刃物の種類のこと、砥石と砥石台のこと、研いだ刃物の使い手のことなども話題になる物語です。
毎年、5月の中ごろに大量の包丁を研ぎます。4日間で約80本の包丁を研ぐのですが、シロウトなりに仕上がりには気を使っています。その仕上がりの目安は、ひっくり返して光にかざした時の包丁の刃先の付け根から先端までが“見えなくなっている”ことです。そこに包丁があるのですから、見えないはずはないのですが、刃先が完全にとがっていて、刃先から光が反射しない状態のことです。もちろん“完全”などということはありませんから、それに近い状態です。預かった包丁はすべて、多かれ少なかれ“刃こぼれ”しています。包丁を研ぐのは、この刃こぼれの部分のすべてを荒砥石で削りとってしまうところから始まります。刃こぼれを削り取った包丁を光にかざすと一本の線になって(反射して)見えます。次に、この線が全く見えなくなるまで、包丁の刃の具合にあわせて刃を削り直します。その場合は片刃、両刃などその包丁の元の刃の具合にあわせて削ることになります。預かる包丁の大半はステンレス製で、たまにハガネのものがあったりします。そして大半はいわゆる菜切り包丁で、まれに出刃包丁を預かることがあります(ただし、出刃包丁を使うことのできる人は、出刃包丁を研げることが前提ではあるのですが)。
刃こぼれを治し刃先を出した包丁は、次に中砥石で研ぎます。荒砥でついた“傷”を直すようにして同時に刃先を出し直すのが、この中研ぎです。中研ぎの後が仕上げ研ぎです。現在使っている仕上げの砥石は、教会、幼稚園などの建物の手入れで世話になっている吉岡さんに、譲ってもらった天然石の砥石です(というのは、吉岡さんの紹介で買った仕上げ用の砥石10,000円が真っ二つに割れてしまったことを知って、自分が持っていたうちの一つを譲ってもらうことになった)。砥石の、荒・中・仕上げの違いは、石の粒子の大きさの違いで、仕上げ用砥石の場合のそれは、乳液状になってしまうほどの微粒子です。例えば、刃物を研いでいる時の“音”で言えば、荒砥の時は“ジャキ・ジャキ”中砥の時は“シャキ・シャキ”そして仕上げ砥の時は“スッ・スッ”という具合に違っています。光にかざした時、荒砥の時は傷だらけ、中砥の時は白っぽく、仕上げ砥の時はつるんつるんで“キラッ”と光って見えます。そんな具合に、つるんつるんで“キラッ”と光ってみえる包丁の切れ味は、例えばトマトを切ったりすると、トマトの皮に引っかかるようにして刃が入り、音もなくストン(包丁にまないたが当った時の音)と切れてしまいます。タマネギをきざんだ場合だと、薄皮ですべったりしないのはもちろん、最後の一ミリくらいの厚さまで形が崩れることなく切れてしまいます。預かった包丁約80本を、毎日20本ずつその程度の仕上げにして返すのに、汗びっしょりになります。包丁研ぎはなかなかの“重労働”なのです。
ただし、そうして研いだ包丁の中でも更によく切れるのが、昔から日本で使われていたハガネを“鍛錬”して作った和包丁です。その“和包丁”が使われなくなって、今包丁はステンレスが全盛です。というのは、和包丁は、大きく刃こぼれし易いこと、すぐに錆びてしまうことで敬遠されることになってしまいました。それだけではなく、いつでも包丁を研いで手入れしたりする、道具を使いこなす生活文化が営みにくくなったのも、和包丁が使われなくなった理由です。
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