西宮公同教会前玄関のミルトスの花が咲き始めました。「聖書の植物です。ミルトスです。」と、小さな鉢のミルトスを届けてくれたのは金城盛紀先生です。それから4年余り、鉢植えのミルトスは全く無事に育ってきた訳ではありません。2年前の夏には、水がもらえなくてかなりの葉っぱはひからびてしまいました。ひからびて、茶色っぽく枯れてしまったミルトスが、元の状態に戻るまでには、ずいぶん時間がかかりました。そんなことがあって初めて、気を使うことになりましたが、その時の枯れた葉がすべて落ちてしまうまで、“あんた、忘れっぽいね!”とたしなめられている思いで、そのミルトスと付き合ってきました。
“聖書の木”ミルトスのことは、旧約聖書のネヘミヤ記、イザヤ書、ゼカリヤ書などに書かれています。その書かれているところによれば、“裸の山”“荒野”“さばく”を緑に変える、パレスチナの代表的な樹木がミルトスのようです。
「わたしは裸の山に川を開き、谷の中に泉をいだく、荒野を池となし、かわいた地を水の源とする。わたしは、荒野の香柏、アカシヤ、ミルトスおよびオリブの木を植え、さばくにいとすぎ、すずかけ、からまつをともに置く」(イザヤ書41章18、19節)。
教会のミルトスは、やはり金城先生が届けてくれて2本増えましたが、1本は枯らしてしまいました。更に金城先生が、「ベランダでは元気が出なくて」と、もう1本届けてくれました。確かに元気のなかったミルトスは、教会の玄関前に置かれて、水をかけてもらうだけでなく夜露と雨など自然の力で元気に育っています。その3本のミルトスのうち、2本に白いビーズのようなまんまるのつぼみがついて、ふくらみ始めているのに気が付きました。そして3、4日前に白い花が咲きました。よくよく見ると“がく片5枚”“花弁5枚”の花を、先端が黄色の30~40本の糸のような雄しべがはじけるように開いた、やはりまんまるの花です。
そうして花の咲いたミルトスを見、「ああ、これ、てんにんかですよ。うちでも咲いてますよ」と言っていたのは、甲風園3丁目の小林登さんです。「ミルトスがてんにんか??」だったのですが、「牧野新日本植物図鑑」を開いてみると、“ミルトス・漠名・桃金嬢、金線桃”で出ていました。“聖書の植物・ミルトス”で、遠い世界の植物だと思い込んでいましたが、それほどではなかったことで、一層ミルトスのことを身近に感じています。ミルトス・てんにんかは香りもよく、つぼみも花も“かわいい”のひとことです。
2年程前富山県氷見の旧道を車で走っていて、ミルトスと書いた看板を見つけました。何回目かに立ち寄ってみると、看板の奥の民家に手作りの小物を売る店があって、店の人によれば「ミルトスの意味は解らないけれど、知人に教えられたその名前がかわいかったので、店の名前にした」とのことでした。その時、機会があればミルトスの苗木を届けることを約束しましたが、まだ実現していません。
届けてもらった時は関心が薄く、枯れそうになってやっと少し本気になって、枝ぶりよく育つ様子もうれしくて、ミルトスを育ててきました。というか、教会の玄関前の他の植物、草花と同様、たくさんの人が水やりをおしまないできたのがミルトスです。小さな木の、小さな白い花が“宝物”に見えたりするのは、自然の恵みの結晶であるからなのはもちろんですが、同じようにたくさんの人の手がかかっているからです。今咲いているミルトスの白い花が、それらすべてのことを物語っているように見えます。
阪急西宮北口駅前の公園で、ベゴニヤの“ハンギング”を飾るのを手伝いました。“ハンギング”の作り方を教えてもらって、自分で作ったハンギングもその中にあります(大半は芦屋川西、国道2号線沿いの花鏡園さんの製作)。ハンギングを教えてくれた花鏡園さんによれば、“ハンギングは毎日水やりですよ”という、30近いハンギングの毎朝の水やりを“忘れっぽく”ならないで、続けられたらと思っています。
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