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2008年07月02週
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 「甲山事件えん罪のつくられ方」(上野勝、山田悦子編著、現代人文社)、「憲法的刑事手続」(憲法的刑事手続研究会、代表執筆者 上野勝)を読みました。
 
 甲山事件は、西宮市の知的障害児の養護施設「甲山学園」で、1974年3月17日女子園児、3月19日に男子園児が行方不明になり、19日夜に二人が園内のトイレ浄化槽から水死体で発見された事件です。4月7日に甲山学園の保母山田(旧姓沢崎)悦子さんが男児殺害の容疑で逮捕されました。その時は処分保留のまま釈放(1975年9月に嫌疑不十分で不起訴処分)された山田悦子さんは、3年後の1978年2月27日に、男児殺害容疑で再逮捕されることになりました。裁判は7年後の1985年10月17日に神戸地裁で無罪判決になりました。検察側が控訴し、1988年に大阪高裁で控訴審が始まり、1990年3月に大阪高裁は一審無罪を破棄し、神戸地裁に差し戻します。1993年2月から神戸地裁で差戻審が始まり、5年後の3月に神戸地裁で2度目の無罪判決になり、検察側が大阪高裁に再び控訴、1999年9月大阪高裁が控訴棄却、検察側が上告を放棄(断念)し、山田悦子さんの無罪が確定します(同時に、山田悦子さんのアリバイ証言で偽証罪で起訴されていた荒木園長、多田指導員の無罪も確定します)。
 

 事件発生から約25年、2度の無罪判決を経て、1999年9月に無罪が確定することになった甲山事件、そのえん罪がどうして起こって、どうして長い長い時間1人の人間を殺人事件の犯人として拘束し続けることになったのかを、終始弁護団の中心になって働いてきた上野勝さん、殺人犯とされた山田悦子さんが明らかにしたのが「甲山事件えん罪のつくられ方」です。
 
 上野勝さんは代表執筆者であるもう一つの著書「憲法的刑事手続」で、日本国憲法31条〜40条が山田悦子さんの場合にも起こった、警察署内の取り調べで“自白”を強制されることがない条項であるはずなのに、それとして解釈されなかったことを、研究会の弁護士と一緒に論証しています。山田悦子さんは、最初に逮捕された時に“自白”し、すぐにそれを否認します。しかし、この時の“自白”は、マスコミなどを通して広く報道されることになり、その後までずっと“犯人である”と印象を世間に与え続けることになります。第一審の神戸地裁、差戻審の神戸地裁判決も、山田悦子さんの“自白”の任意性を否定しませんでした。控訴審の大阪高裁は、無罪判決を破棄するにあたって“自白”などの再審理を求めました。一旦“自白”してしまうことは、その経緯がどうであれ、日本の裁判ではその人の有罪・無罪を決める大きな要素になるのです。その場合の被疑者が“自白”を強制されてしまう状況に置かれない為の、身柄を拘束され絶対的に不利な状況の被疑者を守る、日本国憲法の条項が第31条〜40条です。そのことが、いわゆる憲法学者によっても、じゅうぶんに研究されていない事を明らかにした研究成果が「憲法的刑事手続」なのです。
 
 「憲法的刑事手続」で、日本国憲法第39条の執筆担当をしているのが上野勝弁護士です。日本国憲法は“押し付け憲法”であるということで、繰り返しその“改憲”が話題になってきました。中でも東アジアで、戦争・侵略によっておびただしい人たちに犠牲を強い、敗戦でやっとそれを終わりにできたのが日本です。戦争・侵略を止められなかった明治憲法に代わって、日本と日本国民が持つことになったのが日本国憲法です。それも、自らの強い意志で平和や人権を主張できなかった結果、“押し付けられ”てはじめてその内容を整えることができました。その場合の犯罪の被疑者のことを定めているのが第31条〜40条です。その39条を、“強いられ”“押し付けられ”てはじめて明文化した条文の“原文”は、英文憲法で、それの日本語訳であるはずの39条後段後半は本来“又二重の危険の状態におかれてはならない”のはずでした。それが日本国憲法では“又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問われてはならない”に改変されてしまいました。英文憲法の“二重の危険”を避ける強い意志を“改変した”というのが上野勝さんの解釈であり主張です。
 
 そうだとすれば、甲山事件は長かったとしても事件から7年の神戸地裁の無罪判決で終わっているはずでした。25年後に確定した、山田悦子さんの判決が無罪・えん罪であったことからすれば、神戸地裁の第一次の無罪判決の後、控訴によって“二重の危険”の状態に置かれることはありえませんでした。
 
 「甲山事件えん罪のつくられ方」は、元被告人であった山田悦子さんの“手記”も読み応えがあります。そして、間近に実施が迫っている“裁判員制度”に、甲山事件の経緯をあてはめてみる試みで、新しい制度の様子の問題も解りやすく示されています。
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