7月1日の夜に、Oさんからの合図があったので、翌2日に父が世話になっている富山県氷見市の老人保健施設を訪ねました。その施設の通常の世話以外に、週に3、4回家族の代わりに訪問をお願いしているのがOさんです。「死ぬまで、お世話をしてさし上げるんです」というOさんのもう一つの願いは、「最後をかたわらで見守ってあげて欲しい」ということです。で、「必ず、合図をします」という約束があって、合図があり次第、かけつけることになっています(7月24日は順子と孫の明莉、8月8、9日は順子と2人で・・・という具合に)。
92歳になった父は、施設の人たちからは「ペースメーカーだけで生きています」と言われる状態ですから、2日の場合のように“カゼ気味”ということになると、合図が届くということになるのです。そして、7月2日昼頃にかけつけてみると、「元気ですよ」ということになったりします。一進一退なのです。
父のことでは、本当にOさんの世話になっています。施設の人たちは、その時々の食事の世話、見回った時の声かけ、おむつの交換など心を込めてしている様子が、見ていてもよく解ります。しかし、父が世話になっているような施設で、何から何まで完全に世話ができるわけではありません。世話になり始めた頃には、少しは歩けましたから、“リハビリ”にも前向きでした。今、食事の時に、車椅子で食堂に行く以外、ほとんどベッドで横になっている状態で、“床ずれ”になったりします。施設の人たちは、寝返りさせることに心がけて、“床ずれ”にも、心を込めて取り組んでいます。Oさんも又、施設の人たちと一緒に、父の床ずれの一進一退に付き合っています。一日の大半をベッドで横になっている父の体の関節が固くなったとしても、それはそれで止むを得ないのでしょうが、Oさんの考え方は少し違っています。一日の大半をベッドで横になって過ごすことになったとしても、それなりに“健康”で過ごしてほしいとOさんは思っています。施設の人たちがどんなに努めたとしても、入所者の世話には限りがあります。施設というものに世話になったとして、例えば父の場合がそうであるように“健康”に過ごす為には、Oさんのような人の働きが、あるかないかは大違いです。近くに住んでいれば、施設に、そしてOさんの世話になりっぱなし、ということにはならないのでしょうが、しかし人が人として生きのびるのには、家族や家族的な働きを抜きにはあり得ないことを、そのOさんから教えられています。
父は施設で、現在は4人部屋で世話になっています。5月に訪ねた時、その4人部屋の一角から、かすかに臭ってきました。そんなことに敏感な順子が気付いて、父の向かい側のその人が臭いの元らしいあたりを突き止めて、施設の人に通報しましたが、すぐには駆けつけてくれませんでした。本人に訴える力がなくて、気付いてももらえなければ、定時の交換の時までそのままということになります。遅れてやってきた施設の人の、てきぱきした働きに感心しながら、しかし、そこで人が人として生きのびる時に、もう一つの欠くことのできない働きがあることを、改めて思わされたのでした。
8月9日には、ベッドで横になっていて、自分では起き上がることのない父を、墓参りに連れ出すことになりました。ベッドから車椅子の乗り降りは、慣れないなりになんとかできなくはないにしても、車椅子から車へ、車から車椅子への移動を繰り返すのは自信がありませんでした。これが、“最後”になるかもしれない父の墓参りをなんとか実現したくて、見つかったのが“民間救急・車”のことでした。車椅子での移動になってしまっている高齢者の場合、普通、車では本人にとっても移動は苦痛になります。そんな時、車椅子の人の、施設から病院、病院から病院、一時帰宅、退院などの働きを担っているのがこの民間救急・車なのです。気が付くのが遅くて、時間が限られてるところをかいくぐって、父の墓参りを実現させてくれたのが氷見民間救急・車の運転手さんでした。行きは、少し急いだせいもあって、車酔いをしてしまった父ですが、その後の送迎予定が迫っていたのに帰りはゆっくりゆっくり車を走らせてくれました。そして、義兄が坂の上にある墓地に車椅子を押し上げるのを手伝って、父、義兄、順子の4人で父にとっては“最期”になるかも知れない墓参りを実現することができました。
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