アフガニスタンのことに、強い関心を持つことになったきっかけは「アフガニスタンの風」(ドリス・レッシング、晶文社、20世紀紀行、1988年)を目にした時からです。(ドリス・レッシングは、2007年にノーベル文学賞を受賞することになったイギリス国籍の作家)。1979年、アフガニスタン国内の混乱に乗じ、ソ連が10万人の軍隊を送り込むことになって始まったのがアフガニスタン戦争です。ドリス・レッシングが「アフガニスタンの風」を書いた1986年までのおよそ7年間で、「アフガニスタンの美しい場所は砂漠と化してしまった。貴重な美術品が豊富にあった古都も爆撃ですべてが失われた。アフガン人の三人に一人がすでに死んだか亡命したかあるいは難民キャンプに入っている。しかも、世界はほとんど無関心のままだ」という状況でした。ドリス・レッシングは「アフガニスタンの風」を、"カッサンドラーは髪をふりほどいた"という章で書き始めます。ギリシア神話のトロイア戦争の時のアガメムノーンの"女"だったカッサンドラーは、彼女に嫉妬した"正妻"クリュタイムネーストラーによって、アガメムノーンと一緒に殺害されます。そんなこと一つ一つと悲惨なトロイア戦争の悲惨な結果は無関係ではありませんでした。戦争は悲惨であること、しかしその悲惨な戦争は避けられないものとして始まってしまうということ、「戦争は始まるべくして始まり、何年もの間つづく」ことへの問いを、ギリシア神話の物語までさかのぼり、アフガニスタンでも起こってしまった「戦争という病い」を見極める試みの一つが、ドリス・レッシングの「アフガニスタンの風」でした。そのアフガニスタンの悲惨な戦争を10年間戦って、ソ連軍は"敗北"して撤退します。アフガニスタンの人たちが"大破局"と呼んだソ連との戦争の後、"内戦"という戦争がアフガニスタンでは戦われることになります。ソ連侵攻によって引き裂かれた部族間の血で血を洗うそんな内戦を経て勝ち残ったのがタリバーン政権でした。"原理主義"のタリバーンが勝ち残ることができたのは、"穏やかな明日"など期待しようもない"残骸・破壊"のアフガニスタンだったからです。たとえそれがタリバーンであってもアフガニスタンの人たちにとっては"最悪の選択"ではなく、それよりも悪である残骸・破壊からの選択であるという意味で選ばれることになったのがタリバーンです。「ミグ戦闘機、戦車、重砲・・・玩具や果物に見せかけた対人爆弾」に対して、「ぼろをまとい手製の手榴弾やパチンコや石や旧式のライフルをもった男、女、子どもたち」によって戦われたアフガニスタンの戦争に、「最初は全世界がわれわれの味方だったと思っていたのに、いまやまったく孤独だと語る」よりない無関心で、世界は臨みました(前掲「アフガニスタンの風」)。
そんなアフガニスタンであったのに、2002年9月11日の事件の後、世界中が目を向けることになります。タリバーンの支配する「カブールは、まさにこの世の地獄。廃墟と化した町では私刑が横行し、人心は荒廃しきっている」アフガニスタンに、9月11日の事件の報復としてアメリカ合衆国による戦争が仕掛けられるることになりました。アメリカによるインド洋からの"精密"ロケットによる戦争・空爆は、あっけなくタリバーンの政権を倒し、アフガニスタンは"解放"されることになります。その当時(2004年)神戸で企画した、中村哲さんの講演会で、自身とペシャワール会の働きで身近に見てきたアフガニスタンと、アメリカによるアフガニスタン戦争について、次のように述べていました。「・・・女性が解放されたというけれど、それは売春をする自由、戦争未亡人になる自由、乞食になる自由です。さらに貧乏人が餓死する自由、金持ちがますます金持ちになる自由、これが解放された訳です」(「絶望から希望へ―生命に寄り添って」、中村哲・講演記録より、日本基督教団被災者生活支援長田センター)。
ペシャワール会のアフガニスタン現地での活動を担っていた青年の一人、伊藤和也さんが2008年8月28日現地で殺されて発見されました。西宮公同教会に、ペシャワール会から届いている、一番新しいニュース(2008年6月)に、伊藤和也さんたちの現地報告が掲載されています。「2007年度事業報告、地域に広がり始めた試験農場の成果」がそれで、"大盛会の収穫祭""現地品種の1.5倍、日本米の収穫に大反響""飼料作物ではエン麦が突出した好成績""除虫菊に注目集まる""ついに始まった製茶""幻のブドウ・ついに収穫へ""サツマイモを腹いっぱい食べてもらえるように""人材の育成を目標として"などの報告があって「・・・アフガニスタンの農村を取り巻く情勢はあらゆる面で厳しくなっています。しかしそれでも現地の人たちは明るく逞しく生活しています。日本でもアフガニスタンでも平穏な生活を求める願いは同じです。我々はアフガニスタンの人々が安心して食べていく為に投じた一石が根付くよう、これからも一生懸命活動していく所存です」と、伊藤和也さんたちの言葉で報告は結ばれています。
日本はアメリカによるアフガニスタン戦争で、インド洋でのアメリカ艦船へ自衛隊と艦船による給油活動で、"敵"になってしまいました。ペシャワール会の一番新しいニュースの最後のページ"事務局便り"で、そんな日本の新しい動きのことを危惧しています。「私たちが苦闘を強いられる中、背後から銃を撃つような政策が政府によって打ち出された。アメリカの要請による陸上自衛隊のアフガン派遣案である。戦闘部隊であるISAF(=NATO軍)への参加/後方支援は、これまで現地で培われてきた日本への信頼を根底から瓦解させ、活動する日本人の生命を脅かす歴史的愚行であることを、強く訴えたい」。
西宮公同教会の毎週の週報には、ペシャワール会の活動を支援するささやかな働きのことが報告されています。ペシャワール会の活動を現地で担っていた青年・伊藤和也さんが殺されてしまったのは残念です。
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