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小さな手大きな手

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2008年09月02週
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 久しぶりに、世界地図を手に入れて(「世界地図帳」平凡社)世界をあっちこっちながめています。アフガニスタンの地図は、別に「西南アジア、アフガニスタンとその周辺」(昭文社)に入っていて、時々眺めていました。そのアフガニスタンの“地理的条件”について。「アフガニスタンは山の国でありまして、その面積は日本の約1.7倍、人口は約2千万人といわれています。しかし国土のど真ん中にヒンズークシュ山脈という大きな山がありまして、東のヒマラヤ山脈と並んで・・・6〜7千メートル級の広大な山脈です。これがアフガニスタンのど真ん中に居座って、ほとんどの地域は、このヒンズークシュ山脈或いはその支脈によって占められているという世界です」、「アフガニスタンの諺に『アフガニスタンでは金がなくとも食ってはいけるけれども、雪がなくては食っていけない』というものがあります。全くその通りでして、アフガニスタンは農業国です。国民の9割以上が農民または遊牧民でして、その農耕・遊牧の為の水源がこの白い山の雪なんです」(「絶望から希望へ―生命に寄り添って」中村哲講演録)。という“白い山の雪”は、地図には描かれていなくて、アフガニスタンのほぼすべてが“薄い茶色”か“濃い茶色”で塗られていて、“ほとんどの地域は、このヒンズークシュ山脈或いはその支脈によって占められている”ことがよく解ります。今、そのアフガニスタンの“治安”が悪化していて、テロ組織であるアルカイダ・タリバーンとNATO・米軍との戦闘が、パキスタンとの国境地帯で激化していると言われています。そのパキスタンとの国境地帯も、地図帳で見ると多くは“濃い茶色”ですからそんな山岳地帯で、アルカイダ・タリバーンとNATO・米軍の戦闘が繰り広げられていることになります。"国民の9割以上が農民または遊牧民"よりなるアルカイダ・タリバーンと、NATO・米軍とが、そんな山の中で戦闘を繰り広げる、どんな必然性があるのか、薄い茶色と濃い茶色の塗られた地図のアフガニスタンをながめながら考え込んでいます。
 

 施設で世話になっている宝塚の父が、「補給を担当する後方部隊(約1200名)」でありながら、「補給杜絶、保有軍需品皆無となった後には、現地での完全自給を策しながら敵を激破し、遂には戦斗部隊化して玉砕戦を遂行した結果、終戦に際しては全体の3分の2の犠牲者を出し」(「ウエワクー補給杜絶2年間、東部ニューギニア野戦貨物廠将兵・軍属かく戦えりー」針谷和男)1944年8月15日終戦を迎えたのは、東部ニューギニア、現在のパプアニューギニアでした。その当時、1942年(昭和17年)には、父たちが送り込まれた東部ニューギニアのことでは、日本軍は地図さえ持っていませんでした(前掲「ウエワク」)。“世界地図帳”によればパプアニューギニアは、オーストラリアのすぐ北(近いところで、約200キロ)に位置しています(日本からだと4000キロ?)。そのパプアニューギニアの東西に、地図帳の濃い茶色の4000〜4500メートルのビスマーク山脈が走っています。“補給杜絶・保有軍需品皆無、完全自給”を余儀なくされた父たちの“補給を担当する後方支援部隊”も、時にはこの山脈を南北に超えることがあったと「ウエワク」には書かれています。


“西宮北口”では、少しずつスペインが話題になっています。数年前から、商店街などのクリスマスの催しで、“世界のクリスマス”をすることになり、メキシコ、フランス、ドイツ、そして2008年はスペインということが決まりつつあります。スペインは、いろいろあれこれ関心がありました。20歳の頃たまたま手にした「ロルカ詩集」で、40年以上スペインのロルカと付き合いは続いています。1898年にグラナダで生まれたロルカは、1936年、38歳の時にフランコ軍によって銃殺されます。そのグラナダは“世界地図帳”によれば濃い茶色の3000メートルを超えるシェラ・ネバダ山脈のふもとにあるスペイン南部アンダルシーアの町です。グラナダ、アンダルシーアをテーマにロルカはたくさんの詩を書いています。
 
 3本の巨大なポプラと/一つの星。
 蛙どもに噛まれた/静寂は、
 緑色の小さな汚点で/
 まだらに塗られた薄絹に/よく似ている
 川の中で、一本の枯れた木が、
 同心円に/花咲いた。
 そうしてぼくは/水の上で/グラナダの
 褐色の肌の乙女を/夢に描いた。
 (「ロルカ全詩集機彎海永二訳、青土社)
 
 ナチスドイツの支配下になったフランスから、スペインに逃れたベンヤミンが、スペインの通過ビザが得られなくて、フランスに戻る時待っていたナチス強制収容所より、自殺することを選んだのはポル・ボウという、地中海に面したフランスとスペインの国境の町でした(「読むことは旅をすること」長田弘)。そんな小さな街のことは、“世界地図帳”では見つかりませんでしたが、ベンヤミンが乗った国際列車が経由するフィゲレス(スペイン)、ペルピニャン(フランス)のことは地図の中の“薄い緑”の位置で見つけることはできました。

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