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2008年09月04週
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 少しだけ魯迅を読み直しています。「狂人日記」は「人間を食ったこともない子どもは、まだいるかしらん。子どもを救え・・・」で終わっています。もちろん“人間を食う”ということを、“狂人”が、そのまま、そのこととして語っているとは思えません。「人間を食うのがおれの兄貴だ。おれは人間を食う人間の弟だ。おれ自身が食べられてしまっても、依然としておれは人間を食う人間の弟だ」と、“人間を食う”ことが“狂人”の“妄想”として描かれていても、真実味を帯びてしまうのはなぜだろうか。たぶん、それまでも、それからも“人間を食う”ということを、魯迅の「狂人日記」のように直載に記述したものはありませんでした。そして、「狂人日記」も、“被害妄想狂”の日記の体裁を借りてはじめて“人間を食う”は記述することができました。“人間を食う”は、“狂人”の日記なのですが、魯迅の生きた中国だけではなく、あっちこっちで、この国でも人は“人間を食って”きました。むしゃむしゃ、ぱくぱくとことん露骨ではなかったとして、人は“人間を食って”きたのです。
 

 中国で、見かけ上のたんぱく質を増やす目的で“メラミン”を混入した牛乳の粉ミルクで、乳幼児が死亡する事件があって、その同じ牛乳を輸入し製造している日本の食品類からもメラミンが検出されて大騒ぎになっています。少し前には、農薬成分のメタミドホスが混入した事故米が給食などに使われていたことが発覚して大騒ぎになっていました。メラミンのことも、事故米のことも、そのまま“人間を食った”ということではありませんが、そうして起こっていることは、“人間を食った”とほぼ同じ意味のように思えます。魯迅は中国の歴史には「安心して奴隷になっておれる時代」と「奴隷になりたくてもなれない時代」があったと書いています(という文章のことが「黄翔の詩と詩想」に示されていますが、直接魯迅の「随感禄」65にあたっても見当たりませんでした)。牛乳にメラミンを混入させ、その粉ミルクで直接乳幼児が死亡することを想定しなかったにしても、そもそも人の振る舞いとして許されることではありません。メラミンを混入することで牛乳が安定的に高価格で取引できると考えてしまえる人の有り様を、たとえば魯迅は“安心して奴隷になれる”と理解しました。そうして、安心して奴隷になれる人を、「狂人日記」が“人間を食う”と、理解したとしてもそんなに間違っていません。この国の新聞は、そんな牛乳を輸入し製造してしまった食品のことで「また汚染 何食べれば」と嘆いてみせます。だからと言って“食べる”という、人として最も日常的で当たり前の営みが、この国では多くの場合多くの人にとって、自分から遠いところに全くゆだねられてしまっていることを顧みたりはしません。“食べる”ことのすべてを、対価としてお金を払うことで、すべて完結してしまうこと、自分がそのお金で支配されてしまっているかもしれないことを、考えてみたりはしないのです。実はそのことが、魯迅が言うところの「安心して奴隷になっておれる」なのです。結果、「狂人日記」が“人間を食う”という記述したそのことが起こってしまっています。人は“人間を食う”ことがあってはいけないのです。問われているのは“食べる”という人として最も日常的で当たり前の営みを、自分の元にして取り戻すことです。“また汚染 何食べれば”ではなく、食べることで少しは汗を流し、少しは手を汚し、少しは食べるものを作り出す気があるかどうかが問われています。なのに、“また汚染 何食べれば”としか言えないとすれば、それもまた“安心して奴隷になっておれる”ことそのものです。そして「狂人日記」をして言わしめれば、それは“人間を食う”愚かさやおぞましさと何一つ変わらないのです。
 

 魯迅は、近頃の中国ではあまり評価されなくなったらしいことを、どこかで聞いたような気がします。時として“人間を食う”人の“真実”を描いてしまう魯迅のことが、今日の中国では受け入れられなくなっているらしいのです。その魯迅が生きて死んだ1880年〜1936年の中国でも、魯迅が受け入れられていたわけではありません。「すべての人の主張は、賛成されれば前進をうながすし、反対されれば奮闘をうながすのである。ところが、見知らぬ人々の間で叫んで相手に一向反応がない場合、賛成でもなければ反対でもない場合、あたかも涯(はて)しない荒野に身を置いたように、手をどうしていいかわからぬのである。これは何と悲しいことであろう。そこでわたしは、自分の感じたものを寂寞と名づけた」(「吶喊」自序)。そして「寂寞のただ中を突進する猛士に、彼が安んじて先頭をかけられるよう、慰めの幾分でも与えられたらと思う。私の吶喊の声が、勇ましいか悲しいか、憎々しいかおかしいか、そんなことは顧みるいとまはない」(前掲、「吶喊」自序)とも記し、子どもには人間の肉を食わせてはならない、“子どもを救え・・・”というのが、魯迅の吶喊ではあったのです。 height=1
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