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2008年11月03週
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 現在の自衛隊の組織で、航空幕僚長は階級としてはたぶん空将で、昔の軍隊だったら“大将”ということになるようです。昔、“ガキ大将”らしきものをしていましたが、ガキ大将がガキ大将である所以は、“絶対”ということでした。(しかし、その絶対の総反撃を食らって、人は信じられないことが骨身にしみたのは、小学校4年生くらいの頃で、人間不信ということでは早熟だったかもしれません)。その大将がおそまつだと、大将に続くものは単におそまつでは済まなくて悲惨な結果になったのは、およそ60年前の悲惨な太平洋戦争とその結果だったりします。で、現在の自衛隊の航空幕僚長・大将のおそまつについて。何よりもおそまつなのは、大将の自覚に欠けていて欠けている自覚もなかったりすることです。たとえば大将は「言論の自由が認められている」などと、口にしたりしてはならないのです。大将が、言論の自由が保障されてしか、自分の持論を述べられないのだとすれば、根本的にその資質が問われます。大将というものはあれこれあんまりおしゃべり(言論)をしないものなのです。聞くことにおいて心が広く、熟考することにおいて深く、判断することにおいて迅速かつ適切で、その生活態度において質実かつ剛健であり・・・、なのに言論の自由を保障され300万円の懸賞金で募る民間の雑誌でしか思想・信条を語れないとしたら、それって大将の器ではないのかもしれません。
 

 たとえば、漢の武帝は匈奴の単干を討つべく李陵(りりょう)に出軍を命じます。紀元前102年のことでした。その出軍の命令は「輜重のことに当たる」というものでした。「鍛えに鍛え、練りに練った『丹陽の楚人5千人』『荊楚の勇士』」に“輜重のことに当たる”ということは“将”である李陵の納得できるところではありませんでした。いくつかの経緯があって、5千人の“歩卒”をもって“機動性ゆたかな匈奴の騎馬軍団”にいどむことになります。それは、己が「射士歩5千人」によせた李陵の限りない信頼、何よりも李陵が「士卒を愛し」「下士に謙譲」であったこと、「その部下が、自分ともども不退転の決意で戦う」であろうことを、彼・李陵が信じて疑わなかったからです。その時の李陵はいわゆる大将ではありませんでしたが、5千人の兵を率いる将ではありました。そして、彼をして将たらしめたのは、前述のように、“士卒を愛し”“下士に謙譲”であった態度によっています。もちろん、その場合の将に求められるのは、すべてを引き受ける覚悟です。もし、もし部下の命に関わることが起こったとして、その部下をして“後悔はない”と言わしめるとすれば、そうして示される覚悟以上の覚悟があって、はじめて許されるのが将たるものです。部下をなぶり殺しにして、その事実を隠し、責任を取るべき将が誰一人いない軍隊で、大将は“自衛官にも言論の自由がある”と言ってはばかりません。そうじゃなくって、多言をしないで、“士卒を愛し”“下士に謙譲”であることを、その身命を賭して貫いてはじめて将・大将と言い得るのです。
 

 李陵の5千人は、戦い抜いて敗れ、生き残ったおよそ5百人と一緒に、李陵もまた匈奴に捕らわれることになります。戦い抜いて生き残ったおよそ5百人と、匈奴に捕らわれた李陵は“匈奴に降伏した弱者”として攻撃されますが、弁明しませんでした。その李陵を弁護した司馬遷は、その勇気の故に武帝の不興を買い、“腐刑”“宮刑”にあって“生き恥をさらす”ことになります。しかし、小なりといえども将であった李陵も、生き恥をさらして歴史家となり「史記」を書くことになった司馬遷も、口がさけても「言論の自由がある」とは言いませんでした。ささやかな自説が、“腐刑”“宮刑”となったとしても、そのささやかな自説に存在をかけ決して譲りませんでした。
 

 なのに、この国の大将は“言論の自由”の名を借りて、自説の正統性を主張します。そのことでこの大将は、自説の正統性ぐらいは守れるでしょうが、下士の命やこの国の命運ということでは、こんな大将にはあずけない方がいいように思えます。ガキ大将はもちろん大将は絶対的な権力者です。だから、大将です。そして、大将が守らなくてはならないのは、自分ではなく、その絶対的権力のすべてをかけて、部下の命であったり、部下の人として生きる権利です。守らなくてはならないのは、大将の言論の自由ではなく、軍隊という組織の部下が、たとえば上官の誤った歴史理解に対し、「日本が正しい方向に行くため」時には異議を申し立てる、という意味での言論の自由の保障です。なのに、この大将がスミに置けないのは、自分の言論の自由をたてに懸賞論文らしきものを書いて、ちゃっかり300万円も稼いでいるあたりです。 
 

 李陵の時代より少し後の、ローマの属州パレスチナで生きる人たちに、“言論の自由”はありませんでした。しかし、言論の自由をたてにしてではなく、どうしても必要である時、イエスは口をつぐむということはありませんでした。そして更に、それらの結果、自身に引き寄せ、引き受けることになった事態を前に、“弁明”ということもしませんでした。  参考資料「司馬遷・史記の世界」(武田泰淳)、「李陵」(護雅夫)

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