グリムの「ラプンツェル」に登場する“たいへん勢力のある魔女”は、言われるほど悪党ではありません。強欲で非情でなくはありませんが、どこにでもそんな人は居そうです。その程度の人がかつて魔女と定義され、魔女狩り“魔女裁判”にかけられるということがありました。その時々に魔女と特定されることは、そのまま火刑を意味しました。そして、どんな弁明も許されませんでした。どんな拷問にも「強情にだまっていたりすると、このことを法学者は『悪魔の口止め』と呼ぶのだったが、その意味は、悪魔が被告に魔法をかけて口をきけなくさせている」だから、口を割らなくても魔女だと言う具合にです(「子どものための文化史“魔女裁判”」、ヴィルター・ベンヤミン、晶文社)。こうして、有無を言わさない仕組みである“暴力”などのことを、ベンヤミンは別に「暴力批判論」として書き残しています。そこで、ベンヤミンが言わんとするところは、「・・・暴力を構成するいくつかの手段の正統性への問い」、即ち暴力がその定義も含め誰かに独占されていることへの問いです。「正しい目的のための暴力と不正な目的のための暴力とを区別するところにある、とする、自然法的な課題は、きっぱりとしりぞけなければならぬ」(前掲、ベンヤミン)。
今、“子どもの暴力”のことが少なからず話題になっています。「全国の学校が2007年度に確認した児童生徒の暴力行為は、52,756件と前年度比で18%増え、小中高校のすべてで過去最多だったことが、文部科学省が20日付で発表した『問題行動調査』でわかった」(2008年11月21日、朝日新聞)。しかし、こうして“児童生徒の暴力行為”を確認したとする文科省の“問題行動調査”は、言及するその“暴力”が、そもそも何かは全く問われることはありません。ベンヤミンが言う“正しい目的のための暴力と不正な暴力とを区別するところにあるとする・・・解釈は、きっぱりとしりぞけなければならない”と同じように“小中高生の暴力”というその断定そのものも“きっぱりとしりぞけなければならない”ように思えます。要するに、言うところの“小中高生の暴力”は、それって暴力と言い得るものなのか。「文科省は『自分の感情がコントロールできない』『ルールを守る意識やコミュニケーション能力が低下している』ことを、『暴力増加』の要因に挙げています」(前掲、朝日新聞)。“自分の感情がコントロールできない”“ルールを守る意識やコミュニケーション能力が低下している”などのことは、たぶん確かなのだと思います。しかし、たとえば小中高生というものの、まさしくそれが未熟で、それを養う場所が“学校現場”ではないのだろうか。“小中高生の暴力最多”のその調査は“各校の自己申告”をまとめた結果だそうです。子どもたちの暴力について誰かが決めたらしい定義があって、その定義にあてはまる行動を、学校現場がその都度いちいち記録して、それを“自己申告”したまとめが“小中高生の暴力最多”の発表なのです。
この場合の“過去最多”がどこか変なのは、何よりも学校現場が子どもの暴力を深く問うことなく数字の統計として発表してしまっていることです。小中高生の学校現場は、“自分の感情がコントロールできない”(じゃなくって、まだ足りない!)“ルールを守る意識やコミュニケーション能力が低下している”(じゃなくって、まだ十分に育っていない!)子どもたちが、お互いにぶつかり合いながら育ち、かつ育てていく場所です。そんな小中高生の感情のコントロール、コミュニケーション能力を、教師という大人の働きかけで、少しずつ少しずつ養っていくのが教育現場の役割でもあるはずです。ですから、そこ起こっていることを“暴力”と断定することが、そもそも乱暴(それを暴力的と言う!)であると言わざる得ません。小中高生の行為を“暴力”と断定するのは、ベンヤミンが言うところの“正しい目的のための暴力と不正な暴力の目的のための暴力”を“自然法的”を単純に受け入れ、結果小中高生にのみ暴力を押し付けていることを意味します。
じゃあなくて、教育現場で、何よりも目指されなくてはならないのは、“話し合い”“話し合いによる非暴力的な和解”であるはずです。ベンヤミンは、これらのことを「暴力がまったく近寄れないほどに非暴力的な人間的合意の一領域『了解』の本来の領域、つまり言語(sprach)が、存在する」と“非暴力”の可能性を示唆します。
イエスは、自分が圧倒的な暴力にさらされた時「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と、暴力にゆだねることも、暴力を了解することもしませんでした(ユダヤ人であったベンヤミンは、ナチスの“暴力”から一旦オランダに逃れ、更にフランスへ逃れ、スペイン経由でアメリカへの亡命を試みますが果たせませんでした。フランスへ戻ることを余儀なくされたベンヤミンは自ら命を絶ちます)。
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