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2008年12月02週
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 「農林水産省は3日、農地の借用を原則自由化し、企業の直接参入を促すことなどを柱にした農地制度改革の方針を発表した」(2008年12月4日、朝日新聞)。小規模の個人経営の農業ではなく、企業による大規模農業・米作りを促すのがその目的です。
 

 こうして実現することになる、企業による大規模農業・米作りは小規模個人経営の農業・米作りを成り立たないものにし、農民達の努力で取り組まれてきた中規模農業・米作りから、その人たちを締め出すことになります。
 

 工場でモノを作る場合、随所に常に進化し続ける機械の力を駆使し、かつ極限まで経費を切りつめ、大量生産を実現してきました。そうして実現してきた、工場でモノを作るのとに、同じモノを作る農業とでは、作る規模はその差がどんどん開いてしまいます。あらゆる意味で、自然を条件に営まれる農業は、その規模の中で生産が飛躍的に大きくなると言うことはありません。直接太陽の光を受ける平面的な広がりでしか農業・米作りというものは成り立ちません。もちろん、品種の改良や肥料、農薬の研究開発で収穫量などは変わってきました。しかし、そうして少しは変えることが可能な農業・米作りと工場でモノを作るのとではモノ作りの根本が違っていて、およそその生産活動は比べものにはなりません。比喩的に言えば、無限に生産するものを増やせる工場でのモノ作りに(もちろん、そんなことはあり得ない)、農業・米作りは到底、太刀打ちできないのです。その結果、農業・米作りからどんどん人が離れていって、工場でのモノ作りに、この国は変わってしまいました。というか、工場でモノを作ることで、結果的に得られる生活や価値観が大勢を占めることになり、それが大勢を占める生活や価値観からは、農業・米作りは軽視されることになってしまいます。自然を相手に、その条件のもとでしかあり得ない農業・米作りは、工場でモノを作るのと比べると、ワリが合わないということになるのです。
 
 
 2007年度の国の買い上げる米の価格は、60キロが約12,000円でした。米にその値段がついたのには、いくつかの理由があります。主食としての米にはその程度の価値しかなかったということなのですが、他にもその程度か、それ以下で手に入る主食になり得るものがあったからです。たとえば、主として米国から輸入される小麦を使ったパンがその競争の相手ということになります。更に、いくつかの理由で輸入されている、北米、東南アジア産の米の輸入価格が、日本産の米の価格に反映しています。確かに、北米、東南アジア産の米は安価なのです。安価だとされて、日本産の米は割高であることが言われ続けてきました。そうした要因が重なって2007年度の国が買い上げる米の価格は60キロあたり約12,000円ということになりました。12,000円でも、パンになる小麦、北米、東南アジア産の輸入米と比べると、うんと割高だと思われています。
 

 そうして割高であるはずの米を作っている人にとって、60キロあたり約12,000円は、元気の出る価格ではありません。全く逆で、元気を萎えさせる価格でしかないのです。そんな状況で、大規模農業・米作りを促すことを目的に示されたのが、農地制度改革の新しい方針です。結果、小規模、中規模農業・米作りに取り組んできた人は、更に元気を萎えさせられることになります。
 

 その結果、効率だけを追いかけて実現する企業による大規模な農業・米作りだけが残るということになります。更にその結果、田んぼや畑、そしてそこで働く人の心も荒廃させることになります。そうではなくって、そのことに取り組む強い意志のある人に、農業・米作りの道が示されるべきなのです。農業・米作りは、あらゆる意味で自然の制約を受け、それを欠くことのできない条件として成り立つ営みです。言ってみれば、“不効率”承知で農業、米作りを担っている人たちの働きを、それとして了解し、違った形でそのことの負担が共感・共有されることです。例えば、農業・米作りの労働の一部を“無償”で引き受けること、あるいは農業、米作りで収穫された米の価格を、工場で生産されるモノの価値観で見てしまうのでなく、もう一つ別の価値を付けて引き受けたりすることです。
 

 もうすぐイエスの生誕を記念するクリスマスです。イエスは地上に生まれ、人並みに生きて、死に方は並ではありませんでした。隣り人への共感を何よりも大切に生きたイエスの印象が、生誕への関心になり、たくさんのクリスマスの物語になりました。子どもたちに語られるクリスマスの物語も、イエスのことを描く場合に限らず、人が人として生きることへの共感を大切にします。
 

 2000年の三宅島の噴火と、島から避難した子どもたちに、兵庫県南部大地震の被災地から、自然災害を体験したことの共感の思いを込めて、贈り物を届けてきました。2008年は、5、6月に降雹被害を受けたものの、大切に育てられた大きくおいしい青森県のリンゴを届けることになって、リンゴを入れる袋の為のカードなどを用意しました。
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