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小さな手大きな手

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2008年12月03週
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 イエスの誕生の物語の後、マタイによる福音書には子どもの“受難”のことが書かれています。「・・・彼らが帰っていったのに、見よ、主の使いが夢でヨセフに現れて言った。『立って、幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。そして、あなたに知らせるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが幼な子を捜しだして、殺そうとしている』」「さて、ヘロデは博士たちにだまされたと知って、非常に立腹した。そして人々をつかわし、博士たちから確かめた時に基づいて、ベツレヘムとその付近の地方にいる二歳以下の男の子を、ことごとく殺した」(2章13、16節)。という、幼児殺しのことは、出エジプト記でモーセの誕生をめぐって、類似の事件が起こったことを伝えています。いずれの場合も、その事実について確かめようはないのですが、人の営みが、止まるところを知らないで、過剰になっていくことの示唆であるようには思えます。そして、いずれの場合も、殺す側の身勝手な理由が語られることはあっても、殺される子どもの側からは、何一つ語られることはありません。
 

 子どもたちをめぐる事件のことで、携帯電話がそれに絡んでいることが問題視されてきて、それを具体的に規制することが検討されています。「政府の教育再生懇談会は18日、子どもの携帯電話利用に関する提言の素案を公表した。素案では、教育委員会や学校が、小中学校への携帯電話持ち込みを原則禁止するなど、学校における携帯電話取り扱いに関する方針の明確化を求めている」「素案では、子どもの携帯電話利用について、『わいせつ情報や暴力、犯罪、いじめを誘発する情報などの有害情報が子どもに悪影響を与えるとともに、子どもの生活習慣の乱れ、対人関係の希薄化、本離れ、地域とのふれあいの減少などの弊害』が現れてきていると指摘」(2008年12月18日、朝日新聞)。
 

 1995年の兵庫県南部大地震の時、被災地域から、また被災地域へのいずれの場合も殺到した電話で混乱し、情報を確認することが難しくなってしまいました。その際、公衆電話がより通信しやすいということで、そこに行列ができたりしました。そんな時にいつでも移動しながらでも通話できる携帯電話は、当然威力を発揮することになって、希望が殺到することになりました。その時から、携帯電話の利用者になりました。なりましたが、その時も、そして今も携帯“電話”として役立てています。多機能の携帯電話を持ったこともありますが、その時にも携帯“電話”としてしか使いこなせなくて、今は、ほぼ携帯“電話”機能だけの携帯電話を持ち歩いています。しかし、1995年から13年ほどたって、携帯電話は“政府の教育再生懇談会”が、あれこれ心配し指摘する機能をいっぱい搭載する身近な道具になっています。そして、“わいせつ情報や暴力、犯罪、いじめを誘発する情報などの有害情報が子どもに悪影響を与えるとともに、子どもの生活習慣の乱れ、対人関係の希薄化、本離れ、地域とのふれあいの減少などの弊害”の犯人が携帯電話ということで、子どもたちにそんなものを学校に持ち込ませないことの方策の明確化を教育委員会や学校に求めています。
 

 携帯電話が急速に広範囲に普及することになったのは1995年1月17日の兵庫県南部大地震の後です。その後、携帯電話は情報を伝える方法を激変させてきました。きたと思われています。たとえば、身近に一瞬のうちに流される情報を駆使することで、モノの売り買いまで、情報でコントロールしたりします。更に、その場合の情報の売り買いにも、携帯電話の諸機能が駆使されます。されているようです。結果、それってただの情報ですから、ホンモノとニセモノの区別がつけにくくなって、ありもしない、あるいはニセの情報の売り買いも成り立って、それが犯罪になったりもします。そこにある、実体としてのモノを、見ることも触れることもなしに、モノが売り買いされるのですから、あれこれ間違いがあったとしても、これもあり得ることです。
 

 そんな携帯電話が子どもたちの世界にまで普及してしまった時、情報の使われ方によって、子どもたちが傷つくことがあったとしても、これもあり得ることです。その結果、子どもたちの携帯電話を規制することになったとしてあり得ることです。
 

 しかし、広く社会が携帯電話及びそれに象徴される情報にどっぷりつかっている時、子どもたちだけその情報の外に置いて、携帯電話を規制してしまう時、それに説得力があるとは言えません。というか、全く説得力がないのは、どっぷりつかっている人たちが、自分たちはそのままで子どもには強制力で規制できると思っているからです。結果、子どもたちはもう一つ理不尽を強制されることになります。子どもたちの場合ももちろん、何かを理解させ伝える為には、届く言葉を一つ一つ積み重ねる以外他に近道などありません。もし、子どもの携帯電話を規制したいのなら、大人がその模範を示すよりありません。というか、実体としてのモノを、見ること触れることから始めるよりないという、人が人として生きる社会のありようを戻すことでしか、子どもたちを事件から遠ざけることはできないのです。
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