「戦中派虫けら日記」(山田風太郎、ちくま文庫)を読んでいます。1942年(昭和17年)11月25日に日記を書き始めた時、山田風太郎は20歳で会社づとめをしていました。太平洋戦争が始まって2年目の昭和17年に、20歳の青年の多くは、徴兵されて東アジア、太平洋の島々などの戦場にいました。「明けても暮れても出征の人を見ない日はない。会社の門の前では、いつの日の昼休みにも『出征兵士を送る歌』の楽隊の音がひびいている」「けさ、田町駅から会社への道でも、その一組を見た。軍服を着た若い青年を先頭に立て、晴れ着を着た一群の人々が、軍歌を高唱しながら行進していた。その歩みは遅かったので、自分は通り過ぎた」(「戦中派虫けら日記」、12月15日)。「朝、故郷から回送されてきた小西のハガキを取る。軍事郵便で日付は全く不明。『拝啓、小生11月14日海兵卒業致し、今本艦に乗じ海上第一線の艦にある喜びを味わい居り候。米国の戦力まことに雄大なるものの如く、われまた必勝を期し奪励仕り居り候。右御報せ迄如斯候。敬具』現在の自分の不遇を笑うよりも、まず親友小西の武運長々を祈った」(12月31日)。山田風太郎の書く“自分の不遇”は徴兵されて戦場にいられないことです。昭和19年3月に会社づとめをしながら医専入学の準備をしている山田風太郎に、“教育召集”の白紙が来て、入隊の為の検査を受けることになりますが、「体重44キロ、身長161センチ、『右肺浸潤』」で、即日帰郷者「自分は兵隊にはなれぬ肉体の所有者」ということになります。“親友小西”“本艦に乗じ海上第一線の艦にある喜びを味わい居る”のに、即日帰郷の山田風太郎がその時代に、自分を何かになぞらえるとしたら“虫けら”でした。しかし「戦中派虫けら日記」は、ただの虫けらの日記ではありません。それも“一寸の虫にも五分の魂”と居直ったりする虫ではなく、しっかりと見据えた結果の虫の眼力は薄っぺらくはないのです。旧制中学を出て、医専入学準備の為東京で会社づとめをする山田風太郎と、小学校卒で工員として働く人たちとの扱いには歴然とした差がありました。差額分を、“割いてやるべきだ”思いつめたりする山田風太郎は“虫けら”として“虫けら”に敏感だったりします。しかし、そこでも薄っぺらではない眼力が貫かれ「勝ったのは神でも悪魔でもない。小さな、浅ましい、そのくせ良心なるもののカケラを持った人間である」という“虫けら”なのです。
昨年12月27日から、イスラエル軍の空爆によって、パレスチナのガザでは1300人を超える人たちが、“虫けら”のように殺されてしまいました。イスラエルの「最高の文学賞、エルサレム賞」を作家の村上春樹が受賞することになりました。“迷った末”出席した授賞式で「エルサレムに来たのは『メッセージを伝えるためだ』と説明、体制を壁に、個人を卵に例えて、『高い壁に挟まれ、壁にぶつかって壊れる卵』を思い浮かべた時、『どんなに壁が正しく、どんなに卵が間違っていても、私は卵の側に立つ』と強調した。また『壁は私たちを守ってくれると思わせるが、私たちを殺し、また他人を冷淡に効率よく殺す理由にもなる』と述べた。イスラエルが進めるパレスチナとの分離壁の建設を意識した発言とみられる」(2009年2月15日、朝日新聞)。
「戦中派虫けら日記」で、山田風太郎は「ナチスといえば、今日読了した『西洋二千年史』から、それがドイツの悲痛を極めた歴史の反動的産物であることを知り、ドイツに対し衷心から同情を感じざるを得ないが、それが反動的産物であることに対し頗る不安を覚える」と書いていた、ナチスドイツはその頃、ブーヘンヴァルト、ダッハウ、マイダネクなどの“絶滅収容所”で数十万、数百万人のユダヤ人を“虫けら”のように虚殺していました。
1948年の第一次中東戦争で、アラブ側が敗北し、それまで生活していたパレスチナから“虫けら”のように追い出されたパレスチナ人の難民としての生活が始まりました。ガザに追われたパレスチナ人たちの難民としての生活は、ずっと今日まで続き、“虫けら”のように扱われてきました。1967年の第三中東戦争で占領されたヨルダン川西岸、東エルサレムから“虫けら”のように追われたパレスチナ人が、同じように占領されたガザで難民として生活を強いられることになりました。そして“虫けら”のように追われ“虫けら”のように難民としての生活を強いられることになったパレスチナ人の大規模な抵抗運動、インティファーダーが起こったのが1987年です。山田風太郎の言葉を借りるなら、爆撃機、戦車などの兵器を備えた軍隊に対して“石を投げる”ことで蜂起したのは“神でも悪魔でもない。小さな、浅ましい、そのくせ良心なるもののカケラを持った人間”でした。エルサレム賞の村上春樹が言った“壁にぶつかって壊れる卵”は、山田風太郎の日記の言葉によれば“虫けら”です。しかし、“神でも悪魔でもない。小さな、浅ましい、そのくせ良心なるもののカケラを持った人間”であるとすれば、そこに込められた薄っぺらではあり得ない“虫けら”の命に無関心であるとすれば、それは“虫けら以下”ということになります。
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