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2009年03月01週
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 働いている人が、労働組合を組織することを促し、かつそれを保証する法律が労働組合法です。“目的”として、「この法律は、労働者が使用者との交渉において対等の立場に立つことを促進することにより、労働者の地位を向上させること・・・団体行動を行うために自主的に労働組合を組織し、団結することを擁護することを・・・目的とする」と書かれています(労働組合法、第1条①)。働いている人が労働組合を組織する“勤労者の団結権”のことを定めているのが、憲法28条です。「勤労者の団結する権利及び、団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保証する」。公立学校の先生の組織する労働組合が、日本教職員組合、日教組です。日教組も日本国憲法第28条、労働組合法によって保障された、働いている人たちのとりあえずは労働組合なのです。
 

 その日教組のことで「我々は教育基本法を変え、いい加減な教科書を変えた。相手の方はご存じ日教組、私どもは断固戦っていく。それが自民党だ」と麻生首相は述べたりしています(2009年2月23日、朝日新聞)。“いい加減な教科書「05年度の教科書検定」”で『ペットを家族の一員と考える人もいる』との表現が、『家族の一員のように親密に思っている人もいる』に変更され、その前年度の検定では『Aさんの家族(母、父、弟、犬)が削除され』」という“変更”を“横やりを入れて”させてしまったのがこの人たちらしいのです(同、朝日新聞)。そのことを「記述を変更させたという教科書については、首相は『おじいちゃん、おばあちゃんと一緒の写真、こっちは犬と子どもと一緒の写真。両方家族ですって。おばあちゃんと犬は同じか。こんなふざけた話がどこにあるんだといって、やりあったことがある』と説明」したりもしています。ペットと生活してませんから、“ペットは家族の一員である”“ペットは家族の一員ではありえない”の感覚について、直接言及する資格はないのかもしれません。しかし、“僕”と“母、父、弟、犬”が同じ屋根の下で生活していて、その“みんなを家族”として受け入れる“僕”の感覚は、一概に否定はできないように思えます。そして、そこに“おじいちゃん”“おばあちゃん”が不在であることの、その“不在”とそれに代わる犬が家族になっている現実も、同じように一概に否定できないように思えます。そもそも、“僕”と“母、父、弟、犬”を家族として受け入れる事が起こる前に、おじいちゃん、おばあちゃんの不在は、この国では起こってしまっていました。その結果起こってしまっている現実に、たくさんのおじいちゃん、たくさんのおばあちゃんがあっちでもこっちでも孤立を強いられていたりします。そんな現実を引き受けるはずもないくせに作ってしまった介護保険法によって、おじいちゃん、おばあちゃんは更に孤立を強いられ、押しつぶされるような日常を生きています。それもこれも、“ペットを家族として受け入れる”より以前に、この国はおじいちゃん、おばあちゃんが“不在”“取り残される”社会として成り立ってしまっていたからのように思えます。
 

 教科書検定のことでは、どんな場合も“公的機関”が“公正”に行っていると言われ続けてきたのですが、“横やりを入れる”ことがあって、横やりが通っていろいろ“変更”を強いられているのが、この人たちのようです。そして、“相手の方はご存じ日教組。私ども断固戦っていく”と名指しされている日教組は、そこそこ惨憺たる状況にあります。何よりも、組織している組合員数が少なくて、2007年度では28.1%なのだそうです(2月21日、朝日新聞)。“労働者が使用者との交渉において対等の立場に立つことを促進”するはずの労働組合である日教組の組織は28.1%で、残りの71.9%は、この人たちの“断固戦う”相手ではないようです。で、その場合の“断固戦う”の分かれ目になっている28.1%が犬と子どもが一緒の写真の“家族”、71.9%がおじいちゃん、おばあちゃんが一緒の写真の“家族”ということでその前者の断固戦う日教組(らしい)と、“こんなふざけた話がどこにあるんだと言ってやりあった”結果、教科書の記述が変わってしまったりするのです。
 

 というようなことで“こんなふざけた話がどこにあるのだ”と言ったりしている人、「首相憔悴 潤む目」について。「中川前財務・金融相が閣外に去り、麻生首相が憔悴(しょうすい)している。政権運営上の痛手にとどまらず、信頼しきった『盟友』を失った精神的ダメージが大きいようだ。『厳しい決断を自分でされた。尊重したい』。17日の中川氏の辞任表明直後、記者団とのやりとりで、首相に覇気はなく、目は潤んでいた」(2009年2月20日、朝日新聞)。“犬家族問題”で“こんなふざけた話がどこにあるんだ”と言及する人が、出来の悪い“盟友問題”で憔悴(しょうすい)して目を潤ませたりするのを、朝日新聞、蔵前勝久記者は“こんなふざけた話がどこにあるんだ”と怒り心頭に発しながらこの記事を書いたのだと思います。
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