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2009年03月02週
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政治(家)を目指す若い人の話を聞きました。用意してきた一枚の政策パンフレットには「私は粗末にしない」を課題に18の目標が示されていました。そのうちの3、4項目をめぐって白熱した議論をすることになりました。
 

 国・地方自治体の政策を決める政治は、国・地方自治体の首長及び議員、国・地方自治体の職員によっておおむね方向づけられます。そうして方向づけられ、決められていることは、長い経緯の中でそんなに変わらなくなっているのは、多数の人たちがそれに合意し、それに乗っかった生活を良しとしているからです。その合意形成にあたっては、政治的な利害・利権も働いていますから、変えていくのはたやすくはないのです。そんな時の政治的な利害・利権がスキャンダルになったりすることもありますが、たぶんそれは氷山の一角です。政治の利害・利権にはメディアが大きく関わっています。“改革”という空疎な言葉が国中を駆け巡って、その言葉とメディアを利用した政党が圧倒的多数になったりする場合もあるのが政治です。
 そんな具合ですから、政治(家)を目指す若い人が、“粗末にしない”を課題や目標としてかかげるとしても、政治を変えることはた易くはないのです。結果、政党の範囲の中で決まりきった課題、目標を並べることになってしまうのが、この国の政治の状況で、結果誰がやっても変わりようがないと思われています。
 

 3月5日の“希望・のぞみ”塾では、政治(家)を目指す若い人を囲んで、政治の言葉とは、そんなものはあり得るのか、少し白熱した議論をすることになりました。課題・目標の「粗末にしない→税金→年金を充実させる」について。たとえば年金制度によって恩恵を受けるはずの高齢者の介護施設では、その働き手が得られにくくなっています(高額の自己負担を払える人たち特別の施設は別にして)。高齢者の世話をするのは、重労働であるにも関わらず(高齢者の多くは、身体・心身に障害があり、当然熟練した高度な介護技術が要求されるにもかかわらず)、払われる賃金はずいぶん低かったりします。たとえば、民間の多くの介護施設では“男性の正規雇用者”の年収が200~300万円といわれます(「労働としてのケア」上野千鶴子、立岩真也、現代思想2009.2.)。それより更に低賃金の“女性非正規雇用者”やパート、登録ヘルパーによってその働きが担われているのが老人介護施設の実態です(富山県氷見市の老人保健施設で世話になっている父の場合、1フロアー40人の老人に対して、昼食時などに介護に携わる人は7人です。2/3くらいの老人は自力で食事することができますが、残りの老人は並べられた食事を前に、腹ペコのまま介護している人の順番が回ってくるまで待つことになります)。というような実態であるにもかかわらず、“年金を充実させる”ではなく、更に、悪くなっているのは施設であり、そこで働く人たちの労働条件です。「粗末にしない→税金→年金を充実させる」が説得力を持ちにくいのは、その実態とそれを問う言葉が、政治の政策の言葉としてしか語られないからであるように思えます。
 

 “年金を充実させる”のは、いつだって理の当然のことです。50年以上自分と家族と社会の担い手であった人たちの老後の保障は、社会が何よりも力を尽くすべきことの一つです。なのに“年金を充実させる”ではなく、年金を目減りさせる課税、介護の質の低下などのことが当たり前のように進められています。というような実態や事実が政治課題・目標となり得るとすれば、そこで問われるのは政治の言葉の質です。人の言葉が人に届く言葉である為には、その人の人としての生き様が問われます。どこかの誰かの言葉ではなく、問われているのはその人が血のにじむように生きて、その人が絞り出すようにして生み出した言葉であるか否かです。1フロアー40人、7人の介護者の老人保健施設では、おむつ交換は1日に2回と決まっています。時間がずれて、うんこが出てしまうとすれば、そのまま交換時までの2時間、3時間を待つより他ありません。その人の、その人にしかない生きた生活のリズムを尊重しようがない施設が“老人保健施設”なのです。もし、“年金を充実させる”と言うなら、そんな老人保健施設で、老人と一緒にうんこのにおいをかいで、腹ペコでそのことを訴えられないまま食べさせてもらうのを待ち続ける老人の傍らに居続けることがあって初めて“年金を充実させる”という政治の言葉が肉づけされることになります。
 

 政治課題・目標として「いのちを・障害者が生活しやすく・自殺をなくす」などのことも示されていました。政治・政策は、そのことを求める声が大きな“票”にならない限り実現はおぼつかなくなります。だとすれば、“障害者”“自殺”などの社会的弱者・少数者に身を添わせる政治課題・目標は実現しにくい(票になりにくい)と考えるのが自然です。現実に、政治も社会も弱者・少数者を踏みにじってきました。だったら、何が、伝える言葉になるのだろうか。「『命より大切なものがある』ということは、人を愛せるということで、他人の尊厳を知るということだ。『命より大切なものがない』ということと『自分には生きる意味がない』ということは、イコールでさえある」と書いていたのは橋本治です(「ひろい世界のかたすみで」、マガジンハウス)。「他人が一番大切にしているものを、奪う、傷つける、貶める」(前掲書)などのことは、あってはならないという強い意志があってはじめて、政治の言葉に命の息が吹き込まれることになります。政治課題・目標を、政治のこととしてしか語られない貧しさをめぐって、そこそこ白熱した議論の2時間でした。
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