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小さな手大きな手

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2009年03月03週
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 20年以上前に、身の振り方の相談で教会にとび込んできて、そのことがあって、細々でしたがキリスト教・教会を介してのつながりが続いてきたTさんから「考える所あり、基督教とお別れしたく思います。本当に長い間、お世話になり有難うございました」という便りをいただきました。
子どもたちと出かける折に、必ずお見送りをして、お出迎えをしていただいていたOさんが亡くなられ、“お参り”に行かせてもいました。遺骨とローソク、線香は置かれていたのですが、お葬式は無宗教でした。S学会との決別を「自分も、子どもの頃に静岡の方に連れていかれたりしましたが、今は全くつながりがありません」と息子さんが教えてくれました。OさんやOさんの息子さんは、その宗教と意識的に“決別した”というより、自然にその宗教と遠くなった“決別”のように聞こえました。
 


 で、Tさんがお別れをする西宮公同教会のキリスト教・教会についていろいろ考えさせられています。Tさんがお別れ、決別するのは、西宮公同教会というキリスト教会のキリスト教です。
 

 内村鑑三たちによって日本で広められた“無教会”を主張するキリスト教もありましたが、今は彼らが生きていた時代のように盛んではありません。キリスト教会のキリスト教が主流で、大きくは二つの流れカトリックとプロテスタント諸教派に分かれていて、西宮公同教会はプロテスタントの一教派である日本基督教団に属する教会の一つです。Tさんが“お別れする”のはそんな意味でのキリスト教です。そのキリスト教教会は、2000年前に、パレスチナで生まれ、聖書(新約聖書)に書かれるような生き方、そして殺されることになったイエスという人にその起源をもつと考えられています。それらのことが記述されている書物は“聖書”として重んじられ、今もキリスト教・教会の礼拝で朗読されています。キリスト教・教会が、今に至るまで続いてきたのは、聖書に書かれているイエス、その“教祖”の魅力によるところが大きいのでしょうが、キリスト教の“教会”の力もずいぶん大きかったと考えられます。イエスを教祖とするキリスト教を、いつでもどこでも見える形にして示しているのがキリスト教会で、それをキリストの体と言ったりします。およそ2000年前の時代に生きて、いくつかの経緯があって処刑されたイエスは、“救い主・キリスト”と信じられるようになりました。救い主・キリストを、いつでもどこでも見える形で示してきたのがキリスト教会なのです。と言われ“信じ”られてきました。Tさんが“お別れする”キリスト教は、そんな意味でのキリスト教会であるということにもなります。
 

 キリスト教の教会である西宮公同教会は、1930年代に西宮市甲風園の普通の家の一室で“家庭集会”として始まったと言われます。その家庭集会の主催者がK牧師で、1935年に日本メソジスト教会西宮教会、1941年に戦時下の宗教を統制する法律宗教団体法のもと、プロテスタント諸教派が合同して、日本基督教団西宮公同教会になって、今も続いています。“続く”にあたっては、あれこれ手掛かりが必要ですが、キリストの体と信じられる教会の目に見える体である“建物”がなかなか重要です。建物は、維持管理にも気を使わなくてはなりません。3月14日の朝、教会の建物である西宮公同教会で事件が発生してしまいました。3階建ての建物の階段が水浸しの“滝”になってしまったのです。調べてみたところ、屋上で雨水を集める排水溝に、ケヤキの落葉がつまって水が流れなくなって、排水溝のすき間から大量に教会内に流れ込んで“滝”になってしまいました。“キリストの体”も、こうなると維持管理に気を使わなくてはならない正真正銘のただの建物ということになります。これもまた、Tさんが“お別れする”キリスト教ではあるのです。
 

 西宮公同教会は、キリスト教・教会の働きの一つとして、子どもたちのキリスト教会“教会学校”を、大切な働きの一つとして取り組んできました。毎週日曜日の朝の1時間15分のために、子どもたちが納得して過ごし、納得して帰るために、あれやこれやの準備をし、その時の短い時間で勝負をします。その子どものことについて、教祖イエスは多くを示唆している訳ではありませんが、“神の国”のことで、「幼な子らをわたしの所に来るままにしておきなさい。止めてはならない。神の国はこのようなものの国である」と、聖書・マルコによる福音書10章14節に書かれていますから、子どもたちのキリスト教会・教会学校のことを大切にするのは間違ってはいないはずです。これもまた、Tさんが“お別れする”キリスト教なのです。
 

 建物の維持管理やそこで働く牧師の人件費のことなど、お金もそこそこかかってしまうキリスト教です。Tさんから“お別れする”といただいたお便りのことを気にしながら、キリスト教というものの端っこを今日も生きています。
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