西宮市の甲山の北側にあった、甲山学園で園児が二人行方不明、死亡して発見されるという事件が起こったのは1974年です。施設職員の山田悦子さんが逮捕されたものの不起訴処分となりましたが、3年後に山田悦子さんが再逮捕され(園長・荒木潔さん、職員の多田いう子さんが偽証したということで逮捕)、長い長い甲山学園事件裁判が始まることになりました。甲山学園事件の3人の被告を支援する集会が、再逮捕されたのが2月だったので、毎年2月に西宮公同教会で開かれるようになりました。その集会で、松橋忠光さんが講演をしたのは、1990年前後だったと思います。松橋さんが、その著書「わが罪はつねにわが前にあり」で、警察を“内部告発”したことによって、その後警察権力から有形無形の攻撃を受けたことの、赤裸々な報告が講演の内容だったように覚えています。
集会の後の交流会で、松橋さんの隣に座ることになり、著書にサインをしてもらったりしました。その時に、ご自身は無教会のキリスト教徒であって、キリスト教の教会で甲山学園事件を支援する集会が開催されるのは“うれしい!”とおっしゃっていました。そして「菅澤さん、権力は恐ろしいですよ」「権力って、なんだってできるんですよ」「私は、“内部告発”したことで、私だけではなく家族に対する誹謗中傷など本当に権力は怖いですよ」「権力と闘うのは、足元を何メートル掘っても潔白であるという自信のある人にしかできないことですよ」としみじみとおっしゃっていたのを覚えています。松橋忠光さんの内部告発は、警察組織では一番上の警視総監の次の警視監を経験した人の告発であったことで、その攻撃は陰に陽に容赦がなかったこと、それをしのぐことの大変さを切々と語っておられました。だから権力と向かい合うこと、闘うことを止めなさいということではなく、その覚悟、その重さのことを語っておられたように覚えています。松橋さんとは、その後1995年の兵庫県南部大地震の時も、2001年に亡くなられるまで文通が続き、その都度励まされてきました。
つかまったイエス(マルコによる福音書14章46節)は、大祭司の所に連れていかれ、祭司長、長老、律法学者によって審問されます。審問の結果“死にあたる”と断定されたのは「あなたは、ほむべき者の子、キリストであるか」と問われ「わたしがそれである・・・」と答えたその言葉でした。その後、ローマの総督ピラトの前で、イエスの刑の執行が決まります。大祭司以下のユダヤ教の権力者がイエスを殺すのも、ピラトの場合もはじめから決まっていることでした。やりたいようにやる、それが権力なのです。
民主党の代表をめぐって、秘書が逮捕されることになりました。その政策や成り立ちなど自民党と似たり寄ったりであるとはいえ、政権交代を主張する党の代表と、その代表の座を明らかにゆさぶることになる秘書の逮捕は、それ自体きなくさくなくはありません。いいえ、充分にきなくさいのです。確か、民主党の政権交代の“メダマ”として高級官僚の天下りを廃止することなどが挙げられていました。多分、この国の政治・政策決定の、決定権を握っているのが、言うところの高級官僚です。政権交代を主張して、高級官僚の天下りの廃止を主張したりするのは、そうして成り立っている制度の根本・利害に立ち向かうことになります。権力に挑むことになるのです。なのに、伝えられているところによれば、民主党の代表は自分自身がずいぶんときなくさいところがなくはなくて、そこのところを突かれてしまったらしいのです。“足元を何メートル掘っても潔白を主張できるし、しっぽをつかまれもしない”どころか、政治を巡っての権力と金にどっぷりつかっていて、更にそれが見え見えであったということらしいのです。ですから、秘書逮捕の後の経緯の中で、全く自分が潔白であると言いきれないところが、政権交代を主張する党の代表としてのこの人の、ぶざまなところのように見えます。
甲山学園事件の場合、被告という重い荷を負わされた人が、それぞれ足元を何メートル掘られても潔白であったことで、25年6ヵ月の裁判の結果、完全無罪となって刑事事件は終了しました。1999年10月8日のことです。
そして、つくづく思うのですが、全て全てにおいて“潔白”であるということは、た易くはないということです。
たとえば、西宮公同教会の牧師の場合、そこそこ乱暴だったりしますし、時には突っ走ったりする人生を生きてきましたから、“潔白”には弱かったりします。実は、7、8年前まで日本基督教団の常議員会などで机をひっくり返したりしていました。それで誰かがケガをしたりしない“計算”の上であったとは言え、立派に“乱暴”ではあった訳で、全て全く“潔白”という訳にはいきません。そんな訳ですから、権力に弱いというか、権力と立ち向かうことについては、とても慎重です。慎重なつもりです。
イエスの場合のことを思うのですが、多分全て全く“潔白”だったと思うのですが、それでも身を守ることはできませんでした。
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