4月23日に、西宮公同幼稚園の年長の子どもたちと、高槻市三島江に"レンゲ"を見に行きました。途中、"レンゲ畑"を、耕運機で耕している人に「ここですか?」と確かめたりして阪急茨木駅から4キロばかり歩いてたどり着いた三島江のレンゲ畑は、なかなか壮観でした。10年ばかり前、吹田市の千里北公園を通り抜けた先が田んぼになっていて、レンゲが植えられていました。レンゲを植えた人たちは、子どもたちが訪ねてくるのを待っていて、レンゲ畑に入り込んで弁当を食べたりするのを許可してくれていました。レンゲ畑だけではなく、田んぼの畦を歩いて、おおいぬのふぐり、たんぽぽ、からすのえんどうなど、春の野の花でたっぷり遊んだり、おたまじゃくしのたまごを見つけて驚いたり喜んだりしました。その千里北公園のレンゲ畑は、宅地開発で跡形もなくなってしまいました。
伊丹空港の南側の田んぼに、レンゲが植えられているという情報で、そこまで出かけたことがあります。一面に咲いたレンゲの花は雲のようで、そこに飛んでいってしまいたくなるくらい、心を躍動させる力があります。
3~4年前に、阪急甲東園の段上西小学校隣りの田んぼに、レンゲが植えられているという情報があって出かけるようになりました。レンゲ畑をぐるっと回って、花の咲いていないすき間に3~4人ずつ子どもたちが座って、レンゲの花を"ガクブチ"にして写した子どもたちの写真で、子どもたちが花に負けないのは、多分子どもたちが自然に生きているからです。ただし、そんな様子が見つかってしまい、叱られたこともあります。そして、レンゲ畑近くの、武庫川からの用水路、百間樋(ひゃっけんび)に添って歩き、段上町、野間町、北口町と、用水路が細くなって畑や田んぼに分かれる様子を確かめながら幼稚園まで帰ったりもします。その段上町のレンゲ畑も1年前にはなくなってしまいました。
そんな時、インターネットで調べていて見つかったのが、高槻市三島江のレンゲ畑です。阪急茨木市駅を降りて、地図だけを頼りに、三島江の方に向かいました。しばらく歩いた安威川(あいがわ)の橋の渡り、河川敷に下りると、川岸にはまだ若々しいよもぎがいっぱいで、先端部分を買い物袋いっぱい摘み取りました(このよもぎは翌々日、ばばばあちゃんが登場する「よもぎだんご」の絵本を参考に、年長の子どもたちのおやつの、よもぎだんごになりました)。
三島江のレンゲ畑は、それはそれは広い範囲にレンゲが植えられていて、一部では花の咲いたレンゲを丸ごと土に混ぜ込む、耕運機で耕す作業が始まっていました。延原先生に、耕運機を動かしているおじさんに確かめたもらったところ、レンゲ畑に入るのも"自由"ということでした。ただし、トイレは自由という訳にはいかなかったのですが、隣接する"特別養護老人ホーム"のトイレを使わせてもらい、助かりました。"全員"のトイレが終わった後、施設の方に、「差し出がましいのですが(ではなくあつかましいのですが)、お礼に歌を歌わせていただきたいのですが」と申し出たところ、快く受けてくださいました。そして、デイサービスの方たちの部屋に案内されて、子どもたちは"ぼくのそら きみのそら"を歌いました。いきなりの、そんな場所で"アカペラ"で歌ってしまえる年長の子どもたちなのです。
レンゲ畑の一面の花は、花だけのように見えますが、その下には葉っぱや枝分かれした茎があって(分かれた枝の先にそれぞれの花を咲かせるので、葉っぱも枝も茎もみえなくなってしまう)、根粒菌を蓄える根っこなど植物としての営みをしています。レンゲ畑のレンゲの本当の名前はゲンゲで、紫雲英(ゲンゲ)と書きます。一面に咲いた花が、紫の雲が浮かんでいるように見えるためだそうです。そして、その花の形や色が蓮の花に似ているので蓮華(レンゲ)と呼ばれるようになって、それが通称になっています。
レンゲは、根に根粒バクテリアが共生し、空中の窒素を固定して蓄え、それが肥料になるために田んぼに植えられます。ちなみに、窒素は肥料として植物の葉っぱや茎などを育てます。
春の小川は さらさらいくよ
岸のすみれや れんげの花に
すがたやさしく 色うつくしく
咲いているねと ささやきながら
春の小川は さらさらいくよ
蛙やめだかや 小鮒の群に
今日も一日 ひなたでおよぎ
遊べ遊べと ささやきながら
(春の小川)
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