4月29日の休日は、20年以上前から教会学校の呼びかけで“カレーパーティ”という屋外の遊びの日になっています。六甲の、むせ返るような新緑の川原で、火を燃やし大鍋でカレーを作って食べ、川原では、子どもたちが水をかけあって遊ぶのがカレーパーティです。カレーパーティでたくさんの人が集まって、存分に水遊びができるような場所は、六甲山でも簡単には見つかりません。国立公園“内”である六甲山は、山からの水は本来飲料になってもいいはずですが、山上の保養所などからの排水が地下水になって広い範囲にしみ込んでいますから、六甲山のどの川も“飲用不可”になっています。加熱処理することで、やっと飲料に適するという川も、極々限られています。住吉川上流の五助ダム、逆瀬川上流の焼石川原などで実施してきたカレーパーティの場所は、数年前から仁川上流になっています。西宮から有馬、三田の方に抜ける道路がトンネルの開通で“旧道”になり、車が進入できなくて、入る人も少なくて、カレーパーティにはぴったりの場所なのです(ただし、駐車場がなく、自家用車などが使えない2009年のカレーパーティは往復50分の為に観光バス4台を出してもらうことになったのですが―)。
カレーパーティには約束事があって、“行った時よりも、きれいにして帰る!”です。そんなことはあり得ないのですが、それが努力目標です。最後に残った教会学校の子どもたちがゴミ集めをしますが、カレーパーティの集まりだけではなく、それ以前に使った人たちが散らかしたらしいゴミも集めて持ち帰ります。仁川上流のカレーパーティの場所は、珍しく“ヨシ”の育っている場所です。踏み荒らさないように協力をお願いしましたが、300人近い人の集まりで、少なからず踏みつぶしてしまうことになったのは残念に思っています。
連休の間、思い立って「沈黙の春」(レイチェル・カーソン、新潮文庫)を、15年ぶりくらいで読み返すことになりました。「アメリカでは、春がきても自然は黙りこくっている。そんな町や村がいっぱいある。いったいなぜなのか。その訳を知りたいと思うものは、先を読まれよ」で始まる「沈黙の春」は、自然の沈黙とその理由、人の手によって散布された殺虫剤に汚された虫を捕食した鳥たちが死んでしまって、“黙りこくってしまった自然”を描きます。「沈黙の春」には、人の手で散布された殺虫剤によって死んでいった野鳥や動物たちのことが繰り返し描かれています。「シェルダンの町(イリノイ州)で専門家が、死に瀕している野ヒバリを観察しているが、それは―『筋肉の調整ができず、飛ぶことも立つこともできず、横倒れになりながらも、羽をしきりにばたつかせ、足指はしっかりとにぎられていた。嘴をあけたまま苦しそうに息をしていた』」、「もっとあわれだったのは、地リスだった。どんなに苦しんだか、その死体はその跡を無言のうちに語っていた。『背中を丸め、指をかたくにぎったまま前足は胸のあたりをかきむしり、・・・頭と首をのけぞらせ口はあいたままで、泥がつまっていた。苦しみのあまり土をかみまわったと考えられる』」(前掲、「沈黙の春」)。
新聞に、北海道東部西別川上流で、シロザケの稚魚が泳いでいる様子が、写真で紹介されていました(5月7日「朝日新聞」)。昨年産卵して、孵化した稚魚たちです。稚魚は水棲昆虫などをエサにしながら、数カ月かけて川を下り海に向かいます。「沈黙の春」には、薬剤の散布でサケの稚魚のエサになる水棲昆虫が死んでしまった為、サケの稚魚もまた死滅してしまった、カナダのミラミッチ川のことが紹介されています。西別川が、根室市の北で根室湾に流れ込むまで、いくつもの牧草地の近くを流れたりしますから、そこでの農薬の“洗礼”を受けないとは考えられません。紹介されていたシロザケが根室湾にたどり着くまで、そんなことの影響を全く受けないということもあり得ないのです。
手元に、薬局などで簡単に入手できる殺虫剤「GホルトランS」(住友化学)のスプレーがあります。「ケムシなど広範囲の害虫に、即効性、持続性」のある殺虫剤です。この殺虫剤の成分は“スミチオン”の商品名で知られる“有機リン・有機硫黄系殺虫剤”です。スプレーには「魚毒性:池・水槽(水産物)に噴霧が入らないように注意」と書かれていたりします。その“毒性”をもう少し詳しく調べてみると、「一日摂取許容量は、体重1kgあたり0.005mg。摂取した場合には、倦怠感、頭痛、吐き気、多量発汗、視力減衰、縮瞳など有機リン剤に共通した中毒症状がみられる・・・」だったりします。「GFオルトランS」スプレーは420ml入りでスミチオンの成分はその0.17%ですから、約70ml(70mg?)となるとすれば、充分に危険な農薬なのです。
幼稚園の畑では、農薬や化学肥料は使いません。幼稚園の庭の木や花などにも、農薬を散布しないことになっています。いますが、桜や﨔には毎年“イラガ”が発生して、その対策に悩みます。で、一回限りですが“低毒性”と言われる農薬散布を、イラガの発生具合を見て、植木屋さんにお願いしています。
半世紀以上前の、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」による警告は聞かれないまま、殺虫剤は形を変えて “スプレー”され続けています。レイチェル・カーソンの望んだ“別の道”は選ばれず、温暖化や核廃棄物の蓄積など、より深刻な“沈黙の春”への道を、人は歩き続けているように思えます。
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