多田富雄という名前を、初めて知ったのは2006年4月8日の新聞に掲載された「診療報酬改定/リハビリ中止は死の宣告」という投稿記事(朝日新聞
「私の視点 ウィークエンド」)でした。その後、“能”のことを調べていて多田富雄の「能の見える風景」(藤原書店)で、能に2歩も3歩も近付くことができたように思っています。多田富雄は、“現代が抱える問題を最深部から結晶化させる作品”“新・創作能”の「一石仙人」「望恨歌」「原爆忌」「長崎の聖母」などの作者であることも知ることになりました。
という多田富雄の本来の仕事が免疫学で、そのことも知りたくて読むこととなったのが入門書の「免疫の意味論」(青土社)です。
その頃、骨髄移植をすることになった子どものことで、「免疫の意味論」で出会った「骨髄移植が行われたレシピエントの中では、自分に由来する異常細胞は放射線照射によって駆逐され、健康なドナー由来の血液細胞の一揃いが入れ替わることになる」「・・・ドナーの骨髄細胞中のT細胞を除いておくことが絶対に必要である。そうしないと、注射された骨髄細胞に混入していたT細胞が、宿主(レシピエント)の方を『非自己』として認め、激しく攻撃を開始する。すなわちレシピエントを救うため注入された骨髄中のT細胞が、レシピエント全体を敵として拒絶しようとして働くのである・・・」という文章に、5歳の子どもが骨髄移植で立ち向かうことになった状況が、さり気なくという訳にはいかない壮絶なものであることを、理解する助けになりました。
「“ペースメーカーだけで生きている”と言われている、富山県氷見市の施設で世話になっている父は、2月にそのペースメーカーの手術をして“元気”です。訪ねていって、声をかけると気が付きますが、食事以外ほぼすべての時間ベッドで横になって、手足もほとんど動かすことのない父は、体全体が固まってしまっています。7、8ヶ月前は、左手を動かしスプーンで自力で食べていましたが、今はその左手も動かそうとしません。
宝塚の施設で世話になっていて、4月に肺炎で1ヶ月ほど病院で過ごした父は、その1ヶ月間食べるということをしませんでした。食べないで点滴だけで横になっていた父が、施設に戻ってとりあえず椅子に座った時、少しとまどっていましたが、出されたおやつを自力でスプーンで食べていました。特養の施設で、食べる以外まったく自分で何かをするということのない生活を、どこかで引き受けて生きてきた父です。人として、その都度必要な助けが得られれば、自分の世界を少しは守ったり広げたりできそうですが、氷見の父も、宝塚の父も、なかなかそうはいきそうにありません。」(公同通信 2009年6月12日発行154号・通巻364号、後記)
宝塚の父は、退院した後の施設の生活は1ヵ月ほどで、6月12日には再び軽い肺炎で入院することになりました。再び約1ヶ月間ベッドでの点滴だけの生活に戻ることになります。病院ではしかし、看護・介護の人たちが病人の様子を見ながらリハビリにあたる治療をします。他方、世話になっている施設・特別養護老人ホーム(特養)は、“画期的な制度”として評価されている施設ですが、人であることの、あれこれを断念し、それを了解して生活するよりありません。例えば、父が世話になっていて、父が生活する3階は父以外はすべて女性です。父は別の費用負担で、入居しているのは個室ですが、間違って女性の部屋に入り込んだりすることがあるそうです。とりあえず“事件”になって、行動を抑える薬が処方されたりするようです。女性ばかりの階の、錠なしの部屋が並んでいる一室に、男性の父が一人だけ生活することになって、“事件”にならないことの方が難しいのです。で、どこかで男性であることを忘れることにし、それを了解することにしてきたのが父なのかも知れません。富山県氷見市の父が世話になっているのは老人保健施設(老健)です。その施設では、父のように自力での移動、食事などのできない利用者の生活は、すべて介護職員の助けを借りるよりありません。「作業療法士や理学療法士等によるリハビリテーション」などの支援を受けられるのが老健ですが、施設の基準として“理学療法士または作業療法士”の“定員”が一名であってみれば、父の場合のような利用者のリハビリテーションには手が回らなくなります。結果、その老健の利用者である父の一日の生活の大半はベッドで横になることで、手足体などをほとんど動かすことのない結果、それが機能しにくくなったとしてもやむを得ません。
2006年に“私の視点”を書いた多田富雄は、3年後の2009年にもう一度“私の視点”で「リハビリ医療を奪われた『棄民』」を書きます。“脳卒中の後遺症で、食べることも話すこともできず、半身の一部の動きだけが残った”多田富雄にとって、リハビリを続けることは生き延びるための条件でした。ところが、診療報酬等の改正によりリハビリ治療の制限への異議申し立てが、再度“私の視点”の文章になりました。
宝塚の施設で世話になっている父の場合も、富山県氷見市の施設で世話になっている父の場合も、もし必要な介護が受けられれば、生活する幅や奥行きが今よりは少し膨らむのかもしれません。いずれの場合も、“家族”もまたその働きを担い得ない現実が、より一層高齢者が生きる生活を貧しくしています。
で、多田富雄が自分の理解で示す能は、“時に狂乱して、死んで見てきたという地獄の有様”であったりもしますから、“リハビリ医療を奪われた『棄民』”などのこと、そして父たちの現実は、すべて折り込み済みと言えなくはないのですが。
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