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小さな手大きな手

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2009年07月01週
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「日の照るときも、雨が降るときも、真っ暗なやみの夜も、かれら小さな昆虫たちは、休みなく働いている。冬がおそいかかって、生命の炎がかき消されてしまっても、かれらの生命そのものは、おき火となって燃え続ける・・・」(「沈黙の春」レイチェル・カーソン、新潮文庫)。と、レイチェル・カーソンの書いた生命の炎の“おき火”さえも消してしまう、残酷な自然の営みも時にはあります。しかし、生命の炎そのおき火さえも根こそぎにしてきたのは、自然ではなく、多くは人の仕業でした。


 北海道の山を登っていた人たちが、たくさん遭難死するという事故が起こってしまいました。20代の中頃から、北、中、南などのアルプスに登り、北海道の山も出かけることがあると、ついでにいくつかの山に登っています。天塩岳、比麻良山、暑寒別岳、南暑寒別岳、雄阿寒岳などです。いずれも、1,500メートル前後の山ですが、北、中、南アルプスだと、2000メートルを越える植物、気象状況になりますから、たとえ夏であっても、その程度の山に耐える装備と時間配分などを考えます。山の天気は午前中は安定していても、午後になると急激に変わることがあります。ですから、鍛えていない限り、素人に近い山登りの場合は午後少しまわったくらいで目的地に達している程度の行程の山を選びます。
 

 事故のあったトムラウシは2141メートルですから、北、中、南アルプスだと3000メートルを越える山になります。午前5時30分に出発「強風に加え、横殴りの雨が降りしきる中」歩いた人たちは、手元の地図では約600メートルの標高差、標準的コースタイムで3時間のところを、5時間以上かけてトムラウシ山頂近くの岩場に到着していたようです。60歳前後を中心に18人のパーティで“強風、横殴りの雨”の気象条件であったとすれば、コースタイムを2時間以上かかったとしてもあり得ることです。というか、よっぽどの装備と体力がない限り、夏であっても1600~2000メートルの北海道の山を“強風、横殴りの雨”の条件で歩くことは難しいし、無謀なのです。この事故では山を歩く場合のいくつもの条件が無視されています。大きな自然、自然が持っている条件の中で、人はそれに従うか、あるいは従うことを条件に自分の行動を組み立てるよりありません。“強風、横殴りの雨”が予想されるとすれば、60歳を越える人を含む18人のパーティは、出発を見合わせるよりありませんでした。なのに出発してしまって、最初の一人が“体温を奪われて歩けなくなった”時、どうであれそこから先へ行くのを見合わせ、救出を求めるよりなかったのです。なのに、先へ行ってしまい、歩けない人が続出し全体がバラバラになり大きな事故になってしまいました。自然は、その条件を越える、ないしははみ出してしまった時、容赦しないのです。
 

 そうして容赦するはずのない自然が、人の手によって荒されています。「船首から水面に伸びた器具にスイッチが入った。水面を電撃が走る。その途端、体長40~70センチほどの魚が一斉にジャンプした。水面から2メートルを超す高さまで跳ぶ魚もいた。・・・電撃は『人が感電死する可能性もある』ほどだという。魚はコイ科のシルバーカープ。中国原産の外来種だ」(米イリノイ州を流れるイリノイ川で、2009年7月12日、朝日新聞)。
 人の手によって放流された“外来種”のシルバーカープが増え、川に強い電流を流して“退治”しているのです。“水から2メートルを超す高さで跳ぶ魚もいた”は、それ程強い電流のショックで跳びあがっているので、好んで“ジャンプ”したりしている訳ではありません。こんな“電気漁”なるものが、別の小型の魚にとってより深刻な打撃になるなどということが考慮されていないのはもちろんです。別の川では「上流から強力な薬品を流しニジマスを全滅させる。他の生物に影響がある。下流で中和剤をまく。その翌年、電気漁でニジマスがいないと確認できれば、ブルックトラウトを別の場所から運ぶ。渓流ごとに実施する地道な作業だ」(同、朝日新聞)。どうであれ、ニジマスを理由にその川で生きている生きもの(川魚はもちろん、その生態系の水鳥、昆虫などすべての生きもの)を根こそぎ“毒殺”し、そうして毒薬で汚れた川に中和剤という“毒薬”をまくことが、“生態系再生”の名のもとになされることだったりします。「沈黙の春」が書かれた1962年から半世紀近く、必ず自分に返ってくる“毒薬”をまくということを人は繰り返しています。
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