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2009年07月04週
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 「新約聖書 訳と註 4 パウロ書簡その二/疑似パウロ書簡」(第四巻 田川建三訳著,作品社)が発行されました。「パウロ書簡その1」(第三巻)、「マルコ福音書/マタイ福音書」(第一巻)に続き、「新約聖書 訳と註」全6巻のうち3巻が発行されたことになります。
 「新約聖書 訳と註 4 パウロ書簡その二/疑似パウロ書簡」も、約100ページが翻訳、約700ページが註で構成されています。「新約聖書 訳と註」(田川建三訳著)の発行を案内する小冊子には、「本叢書の特徴」として、いくつかの特徴が紹介されています。「◇不要な解釈や模擬的な読み込みを排して、できる限りギリシャ語原文そのままに日本語に移し替えた。◇既存の訳と異なる場合は『註』において、どういう理由で異なる訳が生じるのか、その都度丁寧に訳した。」・・・など。
 「パウロ書簡その二/疑似パウロ書簡」のローマの信徒たちへの手紙第13章6節の訳は以下のようになります。「すなわちこの故にまた、あなた方は税金を支払っている。彼らがこのことに固執するのは、神の仕え手としてなのだ」(以下、田川訳)。1955年聖書協会訳は「あなたがたが貢を納めるのも、また同じ理由からである。彼らは神に仕えるものとして、もっぱらこの務めに携わっているのである」となっています(以下、協会訳)。協会訳の「貢を納める」は、田川訳では「税金を支払う」になっています。その理由は「・・・できる限りギリシャ語原文そのままに移し替える」と、そのようになるからです。協会訳の「納める」は田川訳では「支払う」です。「tele黴ヘ、原意は『まっとうする』。つまり負っている負債を返せば、債務をまっとうすることになるので、転じてこの動詞は広く単に『支払う』の意味に用いられるようになった」(田川訳、註)。こうして、「ギリシャ語原文そのままに移し替える」ことで、パウロが「国家権力、政治権力は絶対的な善であり、絶対的に従わねばならないものであると、むきになって言い立てている」のであるから、「納める」ではなく「支払う」ということになります(田川訳、註)。たとえばこれが、田川訳の「・・・できる限りギリシャ語原文そのままに日本語に移し替える」理由であり、かつ、「どういう理由で異なる訳が生じるのか」の理由でもあるのです。
 1955年の日本聖書協会訳の後、1987年に新共同訳聖書、1996年に岩波訳聖書が、翻訳発行されています。「新約聖書訳と註」(田川建三訳著)の中では、そのいずれの場合も「・・・できる限りギリシャ語原文そのままに日本語に移し替える」ということをしなかった結果「説教的読み込み」になったり、「異なる訳が生じる」ことになった理由が指摘されています。これらのことは、たまたまそうなったのではなく、聖書の翻訳という仕事において、その仕事の意味が少なからずなおざりにされた結果ということになるのかもしれません。
 少しまわりくどくなりますが、「教会と聖書」第72号(2009年4月20日発行)で、「新約聖書 訳と註」という聖書の翻訳の仕事を、2008年12月14日毎日新聞の「2008年“この3冊”」を引用しながら紹介しています。
 「『毎日新聞』の編集者もそのことを特記して、『・・・混迷深まる世の中、時代の羅針盤が求められているのかもしれません』と注目しているのです」(・・・「新約聖書 訳と註」のことを)。「この田川さんの本を推薦した一人の池内紀という文学者が、その推薦の理由として『いずれも著者たちの人生の重い元手がかかっている。そしておのずと強い思想の表現でもある。これらの本に出会えただけでも今年一年の意味があった。そんな気がする』と言っていたことです」と紹介しているのは桑原重夫さんです。「著者たちの人生の重い元手」ということでは、「新約聖書訳と註」の序文には「・・・原文そのものをずっと読んでみて、何かこう、生きてしゃべっている雰囲気が伝わってくるような、そういう感覚が生じてこないと、どうも語労力とは言えない。そういう感覚が身につくのに、私の遅い足取りでは、60歳代半ばになっていた。ということだ。・・・また自分に余命があるうちに、一人の専門家として担うべき最小限の課題を果たさないといけない」と著者自身が書いています。更に、「おのずと強い思想の表現」ということでは、たとえば「パウロ書簡その二/疑似パウロ書簡」の「ローマにいる聖者たちへ」の翻訳で、「ギリシャ語原文そのままに日本語に移し替え」、註でそうなることの根拠を繰り返し指摘することで、パウロの宗教思想を明らかにし、かつ今までの聖書の翻訳が「あちこちで自己矛盾」をさらけだしていることも同時に明らかにします。
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