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小さな手大きな手

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2009年08月02週
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 「ガザへセメント承認、イスラエル、国連系の工事限定」という、小さな見出しの小さな記事が新聞に掲載されていました(2009年7月30日、朝日新聞)。「イスラエル政府は29日までに、パレスチナ自治区ガザへセメントを搬入することを承認した。今年1月までのガザ大規模攻撃以降初めて。イスラエル首相府直属の報道担当者によると、国連機関などが携わる一部の建設工事用に限って承認する。開始時期は、ガザを支配するイスラム組織ハマスの手にセメントが渡らないよう、国防省や国連機関などが調整したうえで『近く実施する』としている。地元メディアは、製粉所や下水道処理施設などの建設に使われると報じてきた・・・」。セメントを使った工事・仕事をすることはありませんが、セメントは近くのホームセンターに行けば積み上げられていて、普通に自由に買い求めることができます。ガザはもちろん、ホームセンターのようなものは存在しなくて、もちろん建設用資材として不可欠なセメントは存在しない街なのです。ですから、セメントの搬入が許されないガザで「昨年末から3週間続いたイスラエル軍による攻撃で多くの家屋や学校、工場などが破壊されたが建設資材がないため、修復作業が進んでいなかった」ということになります(前、同朝日新聞)。
 

 幼稚園などが休みになって、交代で出勤する先生、その日に事務所に出勤した人たちで、簡単に昼食を作ったりしています。8月4日は「ソーミンチャンプルー」になりました。ソーメンはいただきもの、冷蔵庫に半分だけ残っていたランチョンミート、その他を材料としてにんじん、もやし、ゴーヤ、卵を近くのマーケットで仕入れてきました(その他材料代、462円)。事務所の台所にあった調味料、サラダオイルを使い、ガスコンロで約20分で6人分の「ソーミンチャンプルー」を調理しました。パレスチナのガザでは、壊された建物の修理のセメントはもちろんですが、日常生活の為の手段の多くが壊されてしまいました。たとえば、調理に必要な水、燃料などもそれを使う手段の多くが1月27日からの3週間のイスラエル軍による攻撃で壊されたままです。そして、近くのマーケットに走っていって、必要な食材を手軽に入手するという訳にはいかないのがガザです。セメントはもちろん、簡単な食材のガザへの搬入などもすべてイスラエルによって管理されている事、ガザで食材になる野菜などを育てようとしても、その為の農地の灌漑施設などのすべてが、イスラエル軍の攻撃で壊され、充分に機能しない状態で、結果的にはセメントはもちろん食材なども決定的に不足しています。
 

 子どもの頃から歯ぐきが弱くて、そのことでずっと歯医者さんのお世話になっています。今も定期的に歯医者さんのお世話になることで、何とか自分の歯で持ちこたえています。そんな歯の心配だけで、なんとか健康に(?)過ごせています。12月27日から始まったイスラエル軍のガザ攻撃で、生活する建物や生活そのものも壊されるのですが、死者は1,300人を越え、負傷者も10,000人を越えたと言われています。そして、負傷した人たちが運び込まれたガザの病院は、治療用の医薬品が不足し、医療機器も、水、電気などの施設が破壊されることで充分に使えなくなってしまいました。重機も使えませんから、セメントは言うに及ばず、爆撃で壊された建物も放置されたままです。セメントはもちろん10,000人を越えると言われる負傷者の治療の為の医薬品医療機器の搬入など、すべてがイスラエルによって制限されています。


 ガザのパレスチナ人にとって、そこが生まれ故郷であるより、生まれ故郷が追われてきた人の場所であり、今ではそこにしか生きる場所はありません。そうしてイスラエルの軍事占領下のガザなどで生きるパレスチナ人の事を、かつてのイスラエル軍の指揮官、モンエ・ダヤンの言葉を引きながら、ノーム・チョムスキーが紹介しています。「イスラエルはパレスチナ人に対して次の事を明確にすべきである。すなわち『我々には解決はなく、お前たちは犬のように生き続けなければならない。そして望む者は誰でも去るがよい。この処置の結果どうなるか、我々はみているだけだ』と。」(「イスラエル・パレスチナ問題の徹底討論」ノーム・チョムスキー)。


 セメントはもちろんのこと、すべての生活手段、住む土地も、住居も、生きるために食べることも、傷ついた時や病んだ時の医療も、その手段を自ら選べないとしとしたら、ダヤンの言うように"お前たちは犬のように生き続けなければならない"ということになります。だからと言って、ガザが生まれ故郷を奪われ、追われた果てに生きるパレスチナ人の場所であるとすれば、"望む者は誰でも去って"更に行き場所が見つかるはずはありません。
何よりも目が向けられるべきなのは"ガザへセメント承認"などのことが、さり気なく遠く離れた日本の新聞に書かれることで終わってしまう状況のように思えます。「ガザへセメント承認」のような新聞記事が、書かれるだけで終わってしまうとすれば、問われているのは、私たちは"観客"であることで充分で、決して"参加者"ではない、ということになってしまっている事実かもしれません。
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