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小さな手大きな手

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2009年08月03週
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8月9日、夜の佐用町豪雨、水害の後の現地に、知人の安否、関係者施設の被害などを確認する為、8月11、12日に訪れることになりました。
 なお、8月13日現在新聞などで報道されている被害は以下の通りです。
1、被害地域(人的被害なども含む)
 ①、佐用川流域:佐用町佐用
 ②、幕山川流域:佐用町本郷
 ③、佐用川、幕山川合流域:佐用町上月
 ④、佐用川、千種川合流域:佐用町久崎
2、死者・不明者
       死者  不明者
 8月10日  11人   7人
 8月11日  11人   15人
 8月12日  12人   10人
 8月13日  16人   7人
3、床上、床下浸水 (8月11日現在)
 床上 600戸   床下 800戸
 (発表は、"佐用町を中心"にとだけ、8月12日に兵庫県に確認したところ、佐用町の床上浸水は269戸)
4、断水:5400戸(佐用町、宍粟町)
5、停電:5300戸(佐用町の70%)
6、姫新線:播磨新宮←→美作江見間、復旧の見通し立たず。
7、病院、(8月11日現在)
 佐用中央病院  停電・断水
 佐用協立病院  停電・断水
8、消防、警察、自衛隊によって、行方不明者の捜索が続けられ ている。
 以下は、8月11、12日に現地を訪れたことのまとめです。
1、ボランティア活動
 8月12日より佐用町社会福祉協議会災害ボランティアセンター(佐田町東徳久、清水好一センター長)で、ボランティアの登録、受付、ボランティアの派遣が始まりました。8月12日同センターで確認したところ、12日には約300人が派遣されたとのことです。
 しかし、問題は、今回の被害の大きかった地域が佐用町佐用、佐用町上月、佐用町久崎と3つの地域に分かれて広がっており、離れた同センターでの情報収集、派遣は機動性に欠けることです。現に、8月12日には、電話回線が4本だけで、全く連絡が取れない状態が続いていました。
 佐用町水害のボランティアの働きは、例えば床上浸水家屋から、泥水をかぶって使用不可能となった家具類の運び出し、泥水で汚れた家屋、家具の水洗い、たまった泥のかき出しなどです。この働きは、早ければ早いほどいいとすれば、12日から始まることになったボランティア活動の働きは少なからず遅かったように思えます。
2、使用不可能となった家具類の処分状況について
 浸水によって使用不可能になった家具類の運び出しは、そこでの生活再開を急ぐ当事者によって、水が引くとすぐに始められました。問題は、災害対策にあたる町当局によって、運び出された家具類の処理方針が明確に示されなかったことのようです。そのために、水害から3日目の8月12日には、町のいたるところに、泥まみれの家具類が混在して道路にそって積み上げられ、人、車の通行の妨げになっていました。
 示さなければならなかったのは、①使用不可能となった家具類を分別して運び出すことの指示、②その収集と処分は町が責任をもってするという告知、③当然、集積場所の確保、④別に、個人では困難な泥の処理について、その方法、時期についての告知など。現状を見る限り、そのいずれもが不徹底で、復旧、復興を遅らせることになっています。
3、佐用町駅前商店街の復旧、復興について
 8月12日現在、床上の高い位置まで浸水した、佐用町駅前商店街の復旧作業は、当事者の努力でかなり進んでいました。しかし、前述のような被害とその後の状況では、そこでの再開は先のことにならざるを得ないように思われました。
 8月12日現在の状況からすれば、町と町の人たちが一日も早く生活を取り戻す為には、町役場南の農地を借り上げて整地し、仮設店舗を設け一日でも早い商店街活動の再開を可能にしかつ、元の商店街の復旧、復興とを同時に進めることが望ましいように思えました。
4、災害対策について
 佐用町水害では、災害対策の拠点となるべき、町役場など(同町上月支所など)が大きな被害を受け、町の日常業務などにも支障が生じていました。そんな状況で、急を要する災害対策本部が町役場2階に同居していました(町役場1階の住民受付などは、浸水し、機器類なども使用不可になっている)。遅きに失しているとは言え、急ぐべきなのは、その働きの整理のように思えました。
①町の日常業務及びその復旧、復興活動の為の行政機能と
 災害対策本部をすみやかに分離する。
②災害対策本部を町役場前の広場に移動(テント、コンテ
 ナハウスなど)、専ら災害対策にあたる。現状は、給水車
 などの駐車場になっているが、それらの場合の駐車場は、
 佐用川沿いの道路に移動可能)
③災害対策本部の措置にあたっては、県、町、近隣市町村
 の応援を得てほぼ以下のように構成することが望ましい。
(イ)、行方不明者の早期発見の為の働き
(ロ)、高齢者、子ども、障害者の為の働き
(ハ)、(ロ)の働きの為に、核となる医療機関と、町の人た
  ちに身近な医療機関の連絡体制の確立
(ニ)、泥で汚れた家具類及び泥の処分の働き
(ホ)、電気、水道、ガス、道路など、生活手段の確保とその見通しの為の働き
(へ)、ボランティアが有効、適切な働きができる体制作り
(ト)、復旧、復興を可能なところから重点的にして行く働
  き(前述の仮設店舗など)  
 水害から3日目、8月12日に佐用町の現地を訪れた際、泥まみれになった住居や店舗などの中で、泥まみれになりながら働く当事者の働き、ボランティアの人たちの働き、そして、県、町、近隣の市町村の応援の人たちの働きを目の当たりにしました。被災した人たちが元の生活を取り戻すことは難しいとして、そして、常に、“過去”のこととして取り扱われてしまう状況のなかで、そのことと向かい合い、そこから学ぶことのあるはずのことを、8月11、12日に現地を訪れたことをもとにまとめてみました。 height=1
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