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小さな手大きな手

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2009年08月04週
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 教会学校の5年生以上の子どもたちが、沖縄でキャンプをするにあたって使わせてもらうのは、沖縄島の北、名護市の北の今帰仁(なきじん)村にある沖縄教区今帰仁研修センターです。キャンプ場の裏はすぐ海、少し西に行った山手は世界遺産になった今帰仁城跡です。東西が深い谷の尾根に、大小の白っぽいサンゴ礁を積んだ城壁が、今帰仁城跡です(沖縄島の歴史の古さは、たまたまそこにあったサンゴ礁に、アンモナイトが見つかったりすることからも知らされます)。なだらかな曲線の城跡は、山の緑と空の青さに際立った見えます。世界遺産になった後、復元作業が進められていて、訪ねる度に曲線の城壁の城跡が増えています(現在、総延長1.2キロメートル)。
 

 今帰仁村のキャンプで、キャンプ場への行き来する農道を走っていて、今年も一つの慰霊塔を見つけました。車を止めて近寄ってみると、コンクリート製のすり減った慰霊塔には、29人の名前が刻まれていました。今帰仁村の小さな“字”の一つ仲尾次で“大東亜戦争”の戦死者は29名だったことが解ります。
 

 今帰仁村のキャンプは、キャンプ最後の日程の8、9日は村のまつりと重なりました。今帰仁村まつりは、日本のどこの村や町のまつりでもありそうなカラオケ大会、花火、盆踊りとは別に、“闘牛”が行われます。今年は、6組12頭の雄牛が、ガチンガチンと角をぶつけあいました。闘牛が始まる30分前に会場について、前座試合の“闘山羊”というものを初めてみました。太い半円形の角の雄山羊たちが、後ろ足で立って戻る時、勢いよく角と角をぶつけあうのです。それは、マーシャ・ブラウンの描く「三びきのやぎのがらがらどん」の“大きいやぎのがらがらどん”が、トロルに闘いをいどむ様子そのものでした。
 

 闘牛場は開始直前になると、文字通り老若男女でいっぱいになります。牛同士が闘う沖縄の闘牛の牛は、闘う牛として育てられたとしても、もともとが闘いたいとは思っていないかもしれません。その日に、闘牛の為に“連行”され、闘牛場に引き出され、相手がそこにいるのを見て、更に“勢子”たちの掛け声で、やっと闘う覚悟が出来て闘う、という具合なのかもしれません。で、観客の村の人たちなのですが、それはそれはのんびりしているように見えました。おじい(おじいちゃん)たちは、ゆったり座って、おしゃべりをしながら、ちらっちらっと牛たちの闘う様子を眺めていました。というか、遂には角を突き合わせて闘っている牛たちと、ゆったり座っているおじいたちの様子には、少しも違和感を覚えません。たとえ、闘いたくもない牛を無理矢理闘わせているのであるとしても、ずっとそれをながめてきたおじいたちにとって、見慣れた光景であるという意味も含めて、沖縄の人たちの生活文化の一つの光景が闘牛なのです。牛を虐待しているのではなく、大切に育てられた牛が懸命に闘っているのを見つめるおじいたち、そして背中を向けた時その牛は負けます。
 

 文化ということでは、太陽が沈んだ村まつりの片隅で出会った、比嘉才四郎さんの話も、沖縄で生きる人たちの自然と文化そのもののように思えました。娘3人、息子2人のうち娘2人は"外国人"と結婚していて、名前が覚えられないという17人の孫のうち6人は“外国人”なのだそうです。中にたくさんの米軍基地を抱える沖縄は、外国に近いのです。そんな家族のことをにこやかに話す比嘉才四郎さんは、太平洋戦争の沖縄戦の時に、18歳でした。その沖縄戦の時に、今帰仁村から北部だけで、2大隊4,000人の部隊を作るのに、奔走しました。徴兵される限りの人たちが徴兵された後の、文字通り老若男女をかき集めた部隊だった、とのことです。戦争と沖縄のことでは、アッツ島で“玉砕”した沖縄出身の大松大尉のことを話して、与那国小唱を口ずさんだり、敗戦の後の9月3日、家族で“自決(殺)”した沖縄出身の親泊朝省大佐のことも(「自決こころの法廷」澤地久恵、NHK出版)、「・・・ああ、大宜味(おおぎみ)出身だ」とよく知っていました。更に、今帰仁村まつりのプログラムで琉舞が始まると、村の“字”にはそれぞれの“村おどり”があること、しかし“うがんじょ”の無い村には村おどりがなく、今帰仁村12の字のうち7つには村おどりがない、などのことを教えてくれたりしました。ちなみに、比嘉才四郎さんの仕事は葬儀屋・送り人で、今帰仁村の葬儀のことも少し教えてもらいました。30年程前、沖縄島・先島の与那国島に行った時、島の南西で葬儀の列らしきものに出会いました。石垣から与那国への12人乗りの飛行機の客が全員黒装束だったのは、その為だったことを民宿の人に教えてもらいました。その時の葬儀の列に5〜6本ののぼりが立っていたこと、そこには"送る人"の名前が書かれていたことを、比嘉才四郎さんに教えてもらい初めて知りました。しかし、現在ではのぼりの習慣はなくなったこと、それはのぼりに自分の名を書くことが嫌われるようになり、献花がそれに変わったのだそうです。
 

 そんな比嘉才四郎さんと話していて、趣味が一緒であることが解って喜びあいました。趣味は、浜辺に打ち上げられた“ブイ”を集めることで、今帰仁村字仲宗根の自宅には、約600個のブイ、しかも“黒はなし”というのが自慢でした(こっちの方は、黒まじりで大小合わせて約40個)。次に今帰仁村を訪ねる時には、ブイを見に行くことを約束して比嘉才四郎さんと別れました。
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