毎月第1、3水曜日午後7時からの、聖書研究祈祷会ではヨハネによる福音書を読んでいます。手掛かりにしているのが、ブルトマンの註解書です。ブルトマンの註解書「ヨハネの福音書」の全体が完成したのは1941年と言われます。杉原助による日本語訳が2005年、1032ページの註解書は18,000円もしました。18,000円は高価すぎますが、ヨハネ福音書の註解書としては、70年近くたった今も、最も基本的で無視することのできない文献として評価されています。
9月16日の聖書研究祈祷会では、ヨハネによる福音書14章18~21節を、ブルトマンの註解書を手掛かりに読むことになりました。「わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰ってくる」(18節)。“師”と仰いだイエスが、あっけなく処刑されてしまったのは、残された人たちにとって了解し難いことでした。そんな事態でヨハネ福音書の“信仰”から生まれた言葉が、“あなたがたを孤児とはしない”でした。だからと言って、その人(イエス)が、ひょこっと現われたりしたら(死んだイエスが甦って“再臨”するという信仰理解は、今日に至るまで根強くある)、それこそ“事態”の収拾が難しくなってしまいます。「訣別の状況の『悲しみ』が一行目(…孤児にしない)に暗示されている」、「…信者の死に際しての霊魂の導き手としての救済者の到来ではない」、「天の霊に集った世界審判者の栄光に満ちた到来が考えられているのでもない」(前掲註解書)。ブルトマンは、“生きていた”場合のイエスのことも“孤児にはしておかない”という場合のイエスのことも、言葉にしないで済ますということを拒みます。たとえば、“あなたがたのもとに戻る”というような出来事を“啓示”といったりしますが、その場合「啓示(パラクレートス)の説明が原始キリスト教の聖霊降臨日の思想を取り上げている」、「…まさに霊によって現れを教会のみへの宣教において彼自身が啓示者として働くのである」(前掲註解書)として、それを思想として、言葉として語ることを断念したりはしないのです。ブルトマンの註解書の“難解”さは、思想として見極めること、言葉として、それを表現しきることにおいて、一歩も譲らない結果のように見えます。だから“難解”なのです。
たぶん、一線を跳び越えること(信仰のこと)にして、“霊魂の導き手としての救済者の到来” “世界審判者の栄光に満ちた到来”にし、それを受け入れるのか受け入れないのかを迫ることにすれば、迫る側は簡単です。しかし、ブルトマンはそこに示されている思想と自分の思想を格闘させる道を選び、更にそれを自分の言葉で語ろうとしています。ヨハネ福音書14章19節は以下のようになっています。「もうしばらくしたら、世はもはやわたしを見ないであろう。しかし、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きるので、あなたがたも生きるのである」。19節の読み方のことで、ブルトマンは「…復活は体験がパラクレートス(啓示)の約束の実現として理解される結果、一方で、後者は神話論的な性格を奪い取られ、他方で前者がキリスト教的な生命の不断の可能性であると主張されている」、「たとえば『いきるようになる』ではなくて、『生きている』と語らせることによって、同時に復活は、の出来事から外面的な奇跡という性格を取り去っている」と言ったりしています。元々の、ヨハネ福音書が“難解”なのですが、それを合理的に解釈してしまわないで、“難解”さに真正面から挑む、という具合いなのです。結果、ブルトマンの注解も“難解”になります。しかし、ブルトマンの“難解”は、思想として言葉として語る挑戦であるということでは、読み手を全くを拒んでしまう難解さではありません。19節の「わたしが生きるのであって、あなたがたも生きるのだから」の翻訳が「生きるようになる…」ことを退けています。単なる“たとえ”ではなく、生きた出来事として向かい合うのだとすれば、「生きている」というより他に翻訳はあり得ないのです。それが、ブルトマンの言葉では、「…キリスト教的な生命の不断の可能性であると主張される」などとなっています。
という訳で、聖書研究会で読んでいるヨハネによる福音書も難解で、手掛かりに使っている、ヨハネ福音書のブルトマンの註解も難解です。難解なのですが、ブルトマンの註解書は、簡単な解答を求めないで、執拗に自分の言葉を追い求めていきます。ヨハネによる福音書も、それを読む手掛かりに使っているブルトマンの註解書も難解です。しかし、そこで繰り広げられている言葉の世界に付き合い続けることは、難解なりに発見もあったりするのです。
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