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2009年10月03週
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 2008年度から実施されることになった“教員免許更新制度”が、実施2年で廃止されることになりました。この更新制度は、「教員に10年ごとの免許更新を義務付け、対象者は大学などで30時間以上の講習を受け、不合格が続けば免許が失効する」というものでした。更新制度及びその内容としての“30時間以上の講習”は、教員の教育力の向上ということになっていたのですが、10年に1度、30時間の講習で、それが達成される保証はありませんでした。そして、見え隠れしていたのが、いろんな意味での不適格教員の排除でした。この場合の“不適格”もいろいろであるのは、世の中が“不適格”の烙印を押す人たちの場合と、そんな変わりません。変わりませんが、中でも教員の不適格は許せないということで実施されることになった免許更新制度です。そうして、教員の教育力が期待される教育現場ですが、そこでの教育の実現は、あれこれ混乱していると言われます。例えば、話題になっていることの一つが学力低下です。その学力の低下と教員の教育力の向上を、免許更新制度に結び付けるのは、安易すぎるように思えます。学力などと言うもの、いきなり低下したり向上したりということにはなりにくいものです。例えば、算数、数学のような教科の場合、モノと出会った子どもたちが、それには順番や増減などがあること、それが解る為にはそのことをめぐってのたくさんの経験が必要です。それらの経験をもとにして、数の概念をつかんでいくのですが、そこで必要な発想の転換と、今度はそのことの習熟の為の時間を凌ぐということが求めらます。教育はその過程に寄り添うことでもあるのですが、教える側が強くなり過ぎると、子どもたちが自ら学ぶ機会と力を奪ってしまいます。待ったり、必要な時に必要な助言ができる教員である為に、何より求められるのは、そのことを引き受ける人としての育ちであったりします。教える技術としての教育力だけでは成り立ちにくいのが、人を育てる教育という営みです。
 

 教員免許更新制度が、2年で廃止されることになり、新たに提案されているのが“教員養成の6年制”です。「現在は、2〜4週間の教育実習についても1年間に延ばす考えで、子どもと向き合う経験を増やし、よりていねいに教員を養成する」方針に改めることになります。いずれにしても、「教員養成の6年制化は、それ(免許更新制度)に変わる教員の質向上の手立て」なのだそうです。結局、“教員養成の6年制”も、教育力の多くを教員に求めることが基本になっています。教育が実現する為に、“読む”力はとても大切です。算数、数学がそうであったように、聞くことから始まって、読む言葉を習得するのには、人の言葉を聞くことから始まって、それを表す記号としての言葉、文字の理解まで、一歩一歩長い道のりがあって、初めて実現します。その道のりに寄り添う人の力が教育力であるとすれば、その担い手に求められるのは、人としての成熟です。そうして、成熟した人を、教育の場に求めるのであれば、免許更新制度であったり、教員養成の6年制などの制度をいじる事で足りるはずがありません。例えば、教育の現場では“モンスター・ペアレント”などのことが話題になったりします。もし、モンスターと呼ばれるお母さんやお父さんが存在するとすれば、その人たちを育ててきたのはこの社会です。子どもと向かい合うことにおいても、学校(社会)と向かい合うことに置いても、モンスターであるとすれば、教育実習を1年間に延ばし、子どもと向き合う経験を増やすことで、あるいは教員養成機関を延長することくらいで、教員がモンスターと向かい合えるはずはないのです。人を人たらしめるのは人です。もし、その人を人たらしめる根っこの位置を、モンスターが占めているとしたら、更にモンスターの力に圧倒されているとしたら、どんな教員のどんな教育力も及ばないことになります。忘れてはならないのは、お母さんやお父さんだけがモンスターである社会で、教員がモンスターであることから免れると言うことも難しいことです。どんなお母さんであれどんなお父さんであれ、30年前後をその社会の真っ只中で、その社会のすべてを背負って生きてきた結果のモンスターであったとすれば、その社会にはモンスターがうようよいる、社会そのものがモンスターと考えるのが自然です。そんな時に、教育を狭い学校的な世界だけのこととして、教員の教育力を期待してしまうことの結果も目に見えています。実施から2年で廃止になった“教員免許更新制度”によっても、新たに提案される“教員養成6年制”によっても、この国の教員の教育力だけが向上することはあり得ないのです。
 

 教育が難しいのは、人という難しい生き物が、人という難しい生き物に教える営みであるからです。豊かであることを目指して、多くの事を耐えた人が、豊かになってしまった時に、怠惰にもなってしまいます。暴力にさらされ、それに辟易しているはずの人が、平気で暴力をふるったりします。なのに、人は人に生きることの教えを請うことで生きています。そうだとすれば、教育が自戒しなくてはならないのは、急いではならないことです。急がないで、より多くの出会い、より多くの機会を持つことで、教育は誤りを免れ得るかもしれない、という意味で。
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