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2009年11月02週
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 施設で世話になっている父(11月9日で94歳)が緊急入院することになったと、兄が電話で知らせてきたのは、11月4日(水)午後7時30分頃です。医師の説明によれば、肺炎による高熱、血圧も下がっていることから、今夜が山だとのことでした。北陸線のサンダーバードの時間には、間に合いそうになかった為、車を走らせることになり、2人で9時過ぎに出発しました。途中、2回サービスエリアに立ち寄って、父の入院している金沢医科大学氷見市民病院(市民病院が成り立たなくなり、金沢医科大学に経営が移管された)に着いたのは、午前2時を過ぎていました。病室をのぞき、仮眠していた兄を起こして父の様子を聞いてみたところ、“峠は越した”らしいとのことでした。そんなことを聞き、しばらく様子を見たあと、病院の駐車場の車で2人で仮眠をすることになりました。父の容態がそんな具合だったこともあり、5時30分頃、西宮に先に帰ることになった1人を、サンダーバードの始発に乗るJR高岡駅まで送り、病院に戻りました。病室の父は苦しむ様子もなく、安定した状態で眠っていました。
 

 その後、父の病室で担当医の会議が終わるのを待ち、10時頃から別室で病状についての説明を受けることになりました。今回の肺炎は、高齢者に多い“誤嚥”が原因であった事、父の場は心臓にペースメーカーを埋め込んでいること、その心臓や肺の周囲にも炎症が広がった為、高熱と血圧低下で危険な状態になったのだそうです。更に、腎臓の機能が低下している為、炎症を抑えたり、血圧のための薬を投与することの加減が難しい状態であること、即ち、いつ心臓が停止しても不思議ではない危険な状態にあることなどの説明を受けることになりました。そして、これからのこととして、一つには自力での呼吸が困難になることも予想され、その場合人工呼吸器が必要になった際、どうするかの判断が迫られるかも知れないこと、自力で食事を取ることができない状態での栄養補給はどうするのか、なかでも胃瘻のような手段を取るのかどうかについても意見を求められました。担当医は、人工呼吸器も胃瘻も、“回復が前提”でないのであれば、自分としても選択はしたくないということを、一つの判断として示しました。
 

 1ヶ月ほど前の10月12日に、特別養護老人施設(特養)に移った父を訪ねました。移る前の老人保健施設では、食事も寝たきりでベッドで摂っていた父が、特養ではホールでの車椅子の食事に戻り、出されたものを口に運ぶと残さず食べていました。食事の後、訪ねていった3人で車椅子の父を施設の外に連れ出し、施設に隣接する“前方後方墳”を一周したりしました。古墳を一周する道には、台風18号でで落ちたどんぐりが散らばっていて、拾って握らせると、かすかに握り返したりもします。目を閉じたままで、言葉を返すこともなくなった父です。しかし、ささやかな働きかけであっても、その時に広がっていた空と晩秋の空気、頬に受けた風との、小さな散歩の時間を共にすることで、お互いの存在の意味を分かち合うことになるのだと思ったりしました。石牟礼道子が「・・・それより何よりよく解るのは、歴史の巨大な坩堝の中で、そのきしみあう所に居合わせた者たちの、日々刻々の痛苦が、時の流れの秒針にはかなわないということだ。生れ身の秒針たちが、世界という文字盤からはぎとられて、ここ蟻地獄の淵のようでもある不知火海に、こぼれ落ちてくる感じがして、そのせいで、夕方から夜に入ってゆく海が光るのだろうか・・・」と書いていた“感じ”と(「石牟礼道子詩文コレクション3、渚」、藤原書店)、10月12日に父と過ごした“感じ”は、どこかつながっているという意味でも。
 

 で、胃瘻のことなのですが、担当医との会話の中で、もしそれが迫られるような時、家族の1人として以下のようなことを考えの一端として伝えました。10月12日もそうであったように、流動食であっても父は残さず食べるし、そのことでも生きることに前向きであり続けた。それが、口を経ない栄養補給だけの営みである胃瘻ということになるとすれば、父自身にとっても、そして父を配慮する立場からも、父が生きていることの意味が了解しにくくなる。従って、人工呼吸器はもちろん、胃瘻についても父の場合には考慮しにくい、などでした(人工呼吸器や胃瘻などによる治療の具体例を見ることもある兄の理解は少し異なるようでした)。
 

 父の場合のように、高齢で多くのことが自力で出来なくなり、目を閉じたままで話すこともなく、手助けがなければ一日中ベッドで横たわっている(更に聞きとりにくい)場合であっても、同じ時間に、同じ空間で呼吸しているのだけでも、たったそれだけでも“共有”して生きているのであれば、その人がただ死を待っていると理解してしまうのは貧しいように思っています。父の場合の人工呼吸器や胃瘻はふさわしくないと考えるのは、死んだように生きるのは貧しすぎる、というのが理由です。ということを確認し、とりあえず小康状態になった父をおいて帰ってきました。
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