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小さな手大きな手

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2009年11月03週
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 西宮公同教会の集会室には、いつの頃からか、沖縄島宜野湾市の佐喜眞美術館のポスターが貼ってあります。このポスターは、半分は所蔵作品の中心である丸木位里・俊の「沖縄戦の図」、上半分は宜野湾市を真ん中で分断する普天間基地を上から撮った写真になっています。佐喜眞美術館は、教会学校の沖縄キャンプで立ち寄ることにしていますが、今年は、到着時間が遅かった為に、立ち寄ることができませんでした。その佐喜眞美術館が普天間基地に隣接しているのは、基地の一部として接収されていた佐喜眞道夫さんの土地を、美術館を建設することを理由に取り戻したからで、その時に大きな佐喜眞家の亀甲墓も取り戻すことになりました。美術館からフェンスを隔てた米軍基地内には、別の墓が見えていたりもします。
 

 佐喜眞道夫さんが、接収されていた土地を取り戻して、美術館を建設することになったのは、ポスターにも描かれている、丸木位里・俊の「沖縄戦の図」の展示を引き受ける為でした。子どもたちと、美術館に立ち寄った時、館長の佐喜眞道夫さんからその経緯や「沖縄戦の図」の解説をしてもらうことがあります。佐喜眞美術館が身近になったのは、ケーテコルヴィッツの作品も多く所蔵していて、時々特別展が開催されることが解ったからです。(魯迅の「美術論集」などで関心があったケーテコルヴィッツの作品に直接出会ったのは1993年伊丹市立美術館で、それ以外では佐喜眞美術館)。何度目かに訪ねた時、ケーテコルヴィッツの作品を一点でもいいから、どこかに展示して欲しいと、お願いしたこともあります。
 

 佐喜眞美術館の屋上からは、隣接する米海兵隊普天間基地の全体を見通すことができます。普天間基地は、常に現在および次の“戦場”を見据えた実践訓練が行われる米海兵隊基地です。主に配属されている兵器はヘリコプターで、戦場に直接兵士を送り込む中、大型のヘリコプター、攻撃ヘリコプター・シーコブラなどで、昼夜を問わず離着陸訓練を行います。約2700メートルの滑走路の普天間基地をドーナッツ状に囲む宜野湾市の人たちは、基地の騒音に苦しみ、事故・事件と隣り合わせの生活を強いられてきました。
 

 そんな普天間基地の移転の事で、日米両政府が交渉・合意し、移転先となったのが沖縄県北部の名護市辺野古です。宜野湾では、街と街で生活する人と共存できない米海兵隊普天間基地を、辺野古の米海兵隊基地、キャンプ・シュワブに併設させることを合意したとしても、問題は何一つ解決しません。当初、市民投票などで反対の多かった名護市と名護市民は、普天間基地移設に迫られる渦中で、大きな混乱を強いられてきました。同じように、現存と次の戦場を見据えた訓練が間断なく行われている米海兵隊基地キャンプ・シュワブに、もう一つの海兵隊基地が加わることが増える辺野古の人たちへの負担、豊かな海を破壊することを前提に建設される基地を、辺野古の人たちは、受け入れたくはありませんでした。しかし、基地で“恩恵”を受ける人たちとが分断される中で、決まったのが日米合意でした。宜野湾市では、街や街で生活する人たちと共存できなかった米海兵隊基地の現実ということでは、何一つ変わらないままです。
 

 普天間基地の事で、とりあえず沖縄の人たちが望んだのは、県内ではなく、県外(日本本土、米国内など)移設でした。しかし、県外移設については、結果から言えば本気で議論されることなく、沖縄県内・辺野古に決まってしまいました。繰り返しますが、宜野湾市では、街や街の人たちの生活と共存できなかったのが、米海兵隊普天間基地です。なのに、沖縄県内・辺野古で日米は合意してしまいました。で、ふと思ったりするのですが、神戸空港は今でも発着数が少ないのに、主力航空会社の一つが、便数を少なくすることになっています。だったら、普天間基地を神戸空港へ移設すれば攻撃ヘリコプター・シーコブラなど、ヘリコプターを56機含め、71機が常駐しますから、神戸空港は、うんとにぎやかになります。滑走路も、普天間飛行場は全長2743メートル、神戸空港は2500メートルですから、十分米海兵隊基地・飛行場としては間に合います。米海兵隊基地は、本気で現在と次の戦場への訓練に明け暮れる基地です。ですから、宜野湾市では街と街の人たちの生活と共存できません。ですから、辺野古への移設ということになりました。しかし、辺野古の自然、辺野古の村と村と人たちの生活と移設してくる米海兵隊基地は共存できません。共存できませんが、あれこれ名護市、辺野古の人たちを反対・賛成の渦に巻き込んで、移設は日米で合意されてしまいました。
 

 それを“見直す”ことが話題になっています。しかし“見直し”はなかなか難しいだろうと言われています。なにしろ、既に日米で合意された事なのですから。宜野湾市では共存できなかった米海兵隊基地が、辺野古でも共存できないだろう事は解っていて、だけど日米で合意されたのだから、見直しは難しいだろうと。だったら、主力航空会社の一つが経営不振で、不振の航空路を廃止することで、飛行場としてうんと寂しくなる神戸空港に、米海兵隊普天間基地を移設すると言うのは一つの提案かもしれないが、現在と次の戦争に向けて本気で訓練をしていて街と街の人たちと共存できない米海兵隊基地を神戸空港に移設するのは、やはり難しいが、神戸空港はうんとさびしい空港になってしまうことを考えると、やはり米海兵隊普天間基地を例えば神戸空港へ移設することで“見直し”たりするのは、この国の誰も考えたりしないのだろうか。 height=1
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