父は生前、地元の真宗大谷派の寺の門徒代表の一人でしたので、通夜・葬儀は仏式でした。それらを司るはずの坊さんたちは、年末になると檀家の家に出張して執り行われる“報恩講”の日程が多忙でしたから、通夜も葬儀も、大急ぎで現れて去って行きました。いずれにせよ、通夜・葬儀の大半を取り仕切っているのは葬儀屋で、坊さんの出番は限られているのです。遺族もまた、通夜・葬儀の手順のことで時間に追われることになります。亡くなった人のことで悲しむ、あるいは人とその死という残酷な事実と向かい合っているということが、脇に押しやられてしまうのが、通夜・葬儀だったりするのです。身内を亡くした人たちは、人の死という残酷な事実と向かい合わされています。それは、他の何よりも引き受けることが難しい事実で、言葉をかけることも、言葉を返すことも同じように難しかったりします。そんな時に、通夜・葬儀の手順だけは葬儀屋さんの仕切りで、どんどん進められていきます。
たとえば、西宮の場合だと“最後の別れ”は、葬儀場でということになっています。亡くなった父(富山県氷見)の場合、斎場の一室が“最後の別れ”の場所になっていて、柩の3分の1くらいが開けられ、順番に用意された1、2輪の花を亡くなった父の顔のあたりに並べていきます。閉じられた柩が炉の前に運ばれるのにぞろぞろ付いて行き、“1時間半後”と告げられて別室で待機することになります。すべて、取り仕切られて、手順に従って行動するという具合なのです。およそ1時間半後、火葬が終了した旨の館内放送があって、集まった炉の前には父が骨になって置かれていました。父の場合の骨壷は、ほぼ全部が入ってしまうくらいの大きさになっています。ただ、いくばくかは形を残した骨は、そのままでは壺に入りませんから、すりこぎ状の棒、小さなちりとりと小さなほうきも用意されています。すりこぎは、壺に入れる前に台の上で骨を砕き、更に壺に入れた骨を砕く為の道具です。ほうきとちりとりは、骨を砕いた際の“くず”を集めたりする為に用意されているようでした。要するに、亡くなった人の骨は残さず骨壷に納めるということなのです。それで少し気になったのですが、今まで、そんな場に立ち会うことがあって、炉から出された亡くなった人の骨は、全く骨ばかりではなかったことです。周囲にはいくばくかの“灰”も残っていましたが、父の場合には、きれいに骨だけが残されていました。灰の方は炉から出された後、片づけられていたらしいのです。炉から出された父の骨と対面した人たちは、たとえば足の部分の骨の太さなどに、異口同音で驚いていました。“立派”だったのです。2年余り、“歩く”ということがなかった父ですが、骨格はしっかりしていたのです。というか、そんな立派な骨格の人だから、94歳まで生きのびることができたのです。亡くなった父の場合、たとえば大人の骨壷の大きさは決まっていますから、壺に入れるだけの量を見つくろって“対面”の場に残されるのではないかと、その時も、今も思っています。そんな父の骨ですが、骨壷に入れる際、順番が回ってきた孫(父の曾孫)が、誤って台車のすき間にひとかけら落としてしまいました。周囲で気付いていた人もいましたが、そのままにしておきました。“対面”の前に片づけられていたかもしれない灰やかけらなどのこともありましたから、落としたひとかけらのことは、まあいいかと思っていました。そして、すべてを骨壷に納め終わって退出するのですが、斎場から戻った後、父の孫のうちの2人が、落としたひとかけらの骨を、台車のすき間から拾い上げて骨壷に納めてきたと報告してくれました。
手順だけは進んでいく通夜・葬儀のこと、それを手際よく仕切る葬儀屋さん、しかし人が亡くなるということの残酷さと、それを引き受けることの難しさを、見極める覚悟でした。手順通り、手際良く進められていく中で、自分らしい向かい合い方を、少しだけ守りたいとも思っていました。遺体を運ぶ車だけ、少し早目に着いたその斎場の敷地の外周部分は笹薮になっていました。笹を2枚ちぎり、1枚を“笹舟”、1枚で“笹コップ”を作りました。最後の別れで、柩が開けられた時、その笹舟と笹コップは父の曾孫の手で、父のあごのあたりに納められました。それが欲しいと言っていた孫には、いつか笹薮の笹に一緒に出会う機会があれば、その時のことを口にしながら、笹舟と笹コップを作ることになるかもしれません。
「千の風になって」が好きになれないのは、人の死の事実の残酷さが、歌われていないように思われるからです。人の死の後で執り行われる通夜・葬儀なども、手順通り、手際良く進められることが前提で、それを痛切に悲しむということにはならなくなっています。そこに、痛切な悲しみが存在しないということではなく、それに向かい合うことも引き受けることもしないで、手順通りに手際よく進められることを了解してしまっている結果のように思えます。父の骨のひとかけらを、台車のすき間に落としてしまったのは偶然ですが、手順通り、手際良く置かれた骨かもしれないということで、そのことにはこだわりませんでした。父の2人の孫はそれを見逃さないで、台車のすき間から拾い上げました。
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