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2010年01月03週
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 1月11日〜12日に開催された、日本基督教団北海教区年頭修養会に参加しました。参加者は、およそ450人でしたが、アイヌの人たちはそこにはいませんでした(多分そうだと思います)。昨年7月に、北海道の平取(びらとり)、帯広、紋別などを回りました。平取町二風谷で一泊することになった“二風谷荘”は、アイヌの貝沢輝一さんの経営です。二風谷荘に着く前、昼食で立ち寄った富川のラーメン屋さんでは確かにアイヌらしい人たちと同席しましたが、服装や言葉からそれらしいことは解りませんでした。20年以上も前から、北海道に行きあちこち訪ねたりしていますが、その人がアイヌである、という人と出会うことはありませんでした。北海道へ行く時に必ず訪れる草鹿平三郎さん(その為に行くことが多かったのですが)、紋別市元紋別小学校の時からの友人、畠山隆敏さんはアイヌです。と、草鹿さんから聞いていて、何度も畠山さんと同席することはありましたが、アイヌのことが話題になることはありませんでした。アイヌ(民族)の北川シマ子さんや、チカップ美恵子さんとは、アイヌのことを教えてもらう為に同席したり、アイヌの加納沖さんはアイヌの楽器トンコリの演奏会の為に招いたりしたことはあります。しかし、北海道に出かけて普通に旅をしていて、アイヌの人に出会うということはまずありません。富川の場合がそうであったかもしれないように、そこでアイヌの人たちと出会っていても、そうだとは解りにくいこともあります。1月11日〜12日の年頭修養会にも、アイヌの人たちがそこにいたけれども、そうだと解りにくかったのかも知れません。
 

 その解りにくさのことを考えていて、“良いインディアンとは、死んだインディアンの事だ”(だったと思う)という言葉のことを思い出していました。それを、いつ頃どんな資料でだったか思い出せないまま調べてもらったところ(例によって“パソコン”の力を貸してもらい)「コマンチ族が降伏した際に酋長らから『良いインディアンもいる』と言われて『良いインディアンとは死んだインディアンの事だ』と返した」とされる、その時のアメリカ陸軍騎兵隊のフィリップ・ヘンリー・シェリダンの言葉らしいことが解りました。更に、ずいぶん前に読んでいた「フォール・クリークの虐殺」(ジェサミン・ウェスト、中村妙子訳、評論社)や「わが魂を聖地に埋めよ」(ディー・ブラウン、鈴木正税訳、草思社)を公同文庫で捜し出して、パラパラめくっていて、後者にシェリダンとその言葉のことが書かれているのを見つけました。「アラパホ族のイエロー・ベアー(黄色い熊)も部族の者をコップ砦へ連れて行くことに同意した。それから2、3日して、トサウィが最初のコマンチ族のバンドとともに降伏した。シェリダンの前に連れてこられると、トサウィは目を輝かせた。彼は自分の名前を言い、おぼつかない英語で二つの言葉を付け加えた。『トサウィ、良いインディアン』と、彼は言った。シェリダン将軍が後世に残る文句を口にしたのはその時だった。『私の知っている良いインディアンは、かならず死んでいた』。・・・やがてそれはより簡潔なかたちでアメリカの警句の一つになった。良いインディアンは死んでいるインディアンだけだ・・・。」こうして、シェリダンはトサウィを降伏させますが、生き残ったトサウィとコマンチ族は、コマンチ族としてのすべてを奪われて、死んだように生きるよりありませんでした。そのシェリダン及び彼の部下によって、シャイアン族もまた、「・・・ブラック・ケトルが死に、トール・ブルが死んだ。いまや彼らはいずれも良いインディアンになっていた」(文字通り死ぬか死んだように生きるよりありませんでした。上記引用はすべて「わが魂を聖地に埋めよ」上巻、7「良いインディアンは死んでいるインディアンだけだ」)。
 

 松浦武四郎の「アイヌ人物誌」(平凡社)に、和人に“風俗改め”を迫られ、それを拒んだ長万部の酋長トンクルのことが書かれています。「・・・すると番人どもが左右から寄ってたかってトンクルを押さえつけ、髭をそりおとし、髪を結って『今日から風俗を和風とし、名も徳右衛門とせよ』と命じられたのである」。そうして、風俗を和風に変えさせられ、アイヌである自分を奪われたトンクルは、それを恥として“憤死”します。(前掲、「アイヌ人物誌」)。アイヌたちが“アイヌ・モシリ”・人間の大地と呼んできた北海道でも、「良いアイヌは死んでいるアイヌだけ」で、アイヌは死んだように生きるか、トンクルのように死ぬしかありませんでした。「アイヌ人物誌」が書かれた1858年からおよそ150年経った今も、松浦武四郎が名づけたとされる北海道で、普通にアイヌの人たちに出会うのは難しいのです。
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