1995年1月17日の、兵庫県南部大地震で亡くなった子どもたちのことで歌になった一つが「ぼくのこと まちのこと きみのこと」(クニ河内、作詞・作曲)です。「ぼくのこと まちのこと きみのこと」は、地震からおよそ2年かけて取り組んできた、亡くなった子どもたちの記録を作ることの、最初の区切りである1997年の「大地震子ども追悼コンサート」のタイトルになった歌です。
亡くなった子どもたちの記録は、名前、年齢、属していたのであればその、幼稚園、保育所、小学校、中学校、高校の名称、亡くなった場所(住所)を公にされた資料を基に特定するというものでした。人の名前、年齢、属していた幼、保、小、中、高の名称、亡くなった場所(住所)は、その個人にとって誰からも犯されることがあってはならないその人に帰属する言わば固有の財産です。それを記録として残すにあたって許されるのは公になっている資料であることを、記録作成の条件にしました。¢O述の記録の項目は、少しずつ埋められていって、年毎にそれを節目として「大地震子ども追悼コンサート」を開催してきました。その記録、そのコンサートが「ぼくのこと まちのこと きみのこと」でした。
こうして作られ、少しずつ空白が埋められることになった記録は、真摯であること、注意を傾けること、真実を語ることにおいて、1995年1月17日に起こった地震の事実を明らかにしないでは置きませんでした。記録は、嘘や誤った情報の共犯者になることを許さないという意味で。
記録には、同じ姓の同じ場所(住所)の名前と年齢の異なる子どもが、2人、3人と並ぶ場合があります。一つの家族が、複数の家族を、一気に亡くすという例の、いくつもの記録が並んでしまう事実は、1995年1月17日の地震のすさまじさを、そのまま物語っています。それが、あの地震の「ぼくのこと まちのこと きみのこと」として起こったのです。
記録によれば、神戸市東灘区深江北町で7人、本町で12人、南町で4人の子どもが亡くなっています。隣接する深江北町・本町・南町で地震で埋まっていた23人の子どもたちのことだけででもそれを特定し、必要な救援体制を組むとすれば、その確認、そこに差し向けるべき人や資材などの確保は、それが急を要するものであればあるほど困難なことでした。西に隣接する東灘区北青木で6人、青木で1人の子どもが亡くなっています。隣接する北青木・青木で地震で埋まっている7人の子どもたちのことだけでもそれを特定し、必要な救援体制を組むとすれば、その確認、そこに差し向けるべき人や資材などの確保は、それが急を要するものであればあるほど困難なことでした。更に西に隣接する本山北町で1人、中町で13人、南町で3人の子どもが亡くなっています。隣接する本山北町・中町・南町で地震で埋まっていた17人の子どもたちのことだけでもそれを特定し、必要な救援体制を組むとすれば、その確認、そこに差し向けるべき人や資材などの確保は、それが急を要するものであればあるほど困難なことでした。記録が時として読み間違えられることのあった名簿であり得ないのは、記録された事実が、真摯で注意を傾けた真実であったからです。1995年1月17日に「ぼくのこと まちのこと きみのこと」として、これが起こったことの事実です。
“記録”ということでは、早々にそして各地に、記念の碑が建立されることになって、記念碑を歩くことも企画されています。そうして、一つの点から次の点へ移り、その都度少しばかり心を動かされることがあったとしても、碑も歩く企画もまた一つの儀式であることをまぬがれません。なぜなら、早々と各地に建てられた碑は1995年1月17日に起こったことの記録としては、その孤立の故に貧しさをまぬがれないからです1995年1月17日に起こった「ぼくのこと まちのこと きみのこと」は、早々と各地に建てられた碑でも、その点と点をめぐって歩くことでも明らかにはなり得ないからです。早々と建立された記念の碑は、「ぼくのこと まちのこと きみのこと」の記録であるためには貧し過ぎるのです。
大地震から10年、大地震子ども追悼コンサートは区切りをつけることになりました。亡くなった子どもたちの記録の空白を埋めるということでは、尚足らないものがあるとしても、それを読み取り、それを記憶するに足るだけのものは達成したと判断したからです。記録は、たとえばスーザン・ソンタグが自分の物語のこととして書いている「自分でもなく自分たちのものでもない存在のために涙を流す能力を醸成し、鍛錬してくれるもの・・・」として、示されることになりました。(「同じ時のなかで」NTT出版)。同時に記録は、ただの名簿と読み間違えられることで、理不尽に生命を絶たれた人たちを、もう一度踏みにじる材料にもなってきました。514人の亡くなった子どもたちの記録と、「ぼくのこと まちのこと きみのこと」の尊厳が踏みにじられることを拒み、かつそのことの意味を守り続ける意味で、大地震子ども追悼コンサートは形を変えた小さな試みとして、今も継続しています。
(じしんなんかにまけないぞ こうほう、2010年1月17日兵庫県南部大地震犠牲者追悼の日礼拝で配布より)
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