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2010年01月05週
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 日本基督教団(約1700の教会で構成される、プロテスタント教会の一教派)の場合、教会に出入りする人の高齢化が進む一方、教会に出入りする人の数も漸滅しているとのことです。もともと巨大宗教教団などが、構成員数を500万人とか1000万人とか言っているのとは比べ物にならないのですが、統計によれば、構成員数(信徒数)は1994年は205,306人、日曜礼拝出席者平均60,822人、2008年には構成員数188,485人、日曜礼拝出席平均57,284人となっています。漸滅を続けている理由として、箍(タガ)がゆるんでいることを理由にする人たちもいます。


 「・・・私たちは、一度限りの洗礼を通してキリストの体なる教会に加えられ、罪の赦しの恵みに与り、その後繰り返される聖餐を通して、この恵みの内に養われ、成長するのであると確信しています。今まさに、教団内に生じている未受洗者陪餐の問題は、こうした教団の歩みを、その根本から脅かし、否定し、破壊するものであり、これを受け入れることは決して出来ません」(「教団の現状と一致への展望」2010年1月)。ここで言われている、タガのゆるみ、即ち“未受洗者陪餐”のこと、(西宮公同教会の場合、30年来ずっと“未受洗者陪餐”)などが理由になって、教会の構成員数が漸滅となっている、というのは思慮が浅すぎるように思えます。


 ではなくって、キリスト教という宗教が今の時代に宗教として受け止め、宗教でしか語れないことを解りやすい言葉で伝えているのかどうかが問われていて、しかし、それを実現していないことが、たとえば日本基督教団の構成員の漸滅と考えるべきなのです。この国で、自ら生命を断つ人が、30,000人を超え、それが10年以上続いています。2009年は12月末の暫定数が32,753人で、2008年のそれを500人を上回ったと言われています。構成員が20万人に満たない弱小キリスト教教派(教団)はもちろん、500万人、1000万人超える巨大宗教教団であっても、すぐれて人の生き死に関わる宗教が、結果的にはその働きを成しえなかった結果が、この国で自ら生命を断つ人が30,000人を越えてしまうことになっている、そのことが宗教としての敗北であるとの自己理解ぐらいはもってしかるべきであるように思えます。


 1月28日に、日本基督教団兵庫教区の「教職(教会の教師・牧師)養成に関する委員会」に提出した文書に「自殺する人が10年以上も30,000人を越えたり、子どもたちが生活する学校教育が崩壊するような状況の全てが、教会の課題である訳ではありません。しかし、例えばそれらの事柄の中で、教会がえぐり、教会にしか担えない課題が必ずあること、それを引き受けているかどうか、教会の態度として、教会の言葉として発信しているかどうか、教会の現場が問われています」と書きました。


 生きるということは、すべての人にとって大きな花を咲かせるものではあり得ません。しかし、与えられた生命を引き受け、小さな覚悟を積み重ねて、生きのびるものであるということでは例外はありません。確かに、今、その生命を引き受けることが、難しくなっていることは事実かもしれません。人が積み重ねてきた営みが、人を生きにくくしているという意味でも。「・・・ホッキョクグマの生きた子を食べる成獣」の写真に、目を疑い釘づけになりました。ホッキョクグマの成獣が生きた子を食ってしまうのは、人の営みがそこまで及んだ結果でしかあり得ないのですが、同時にそこに写し出されているのは、人の姿そのものでもあるのです。


 そんな状況の全てが、教会の課題である訳ではありません。しかし、例えばそれらの事柄で、教会がえぐり、教会にしか担い得ない課題が必ずあること、ということのほんのささやかな試みとして計画されたのが、「教会の明日についての発題」です。
「神様の御名を讃美いたします。
 西宮公同教会で、礼拝の度に祈られてきたことの一つが、湯n域の教会狽ニいうことでした。教会学校や幼稚園の働きが地域との結びつきになり、そのことの話題や感謝が祈りの言葉になってきました。
 西宮公同教会の主日礼拝は、30年近く25人前後で推移してきました。その30年近くの歩みの中で、教会の歩みの草創期を担った人たちを神様のもとに送ってきました。その間、教会が始めた賃貸住宅は、事業というものの難しさを身にしみて感じる体験になりました。借入金のことなど、事業が一区切りとなること、教会は次の世代をいかに生み出し、そしてつないで行くかなどの課題にも直面しています。
 かつて西宮公同教会の歩みを共に担っていただいた方々をお迎えし、上記のような課題を説教の言葉として、更に教会の明日についての発題として、合わせてお願いすることになりました。」
 

 大きく、鋭く何かをえぐるのではなくても、教会がえぐり、教会にしか担い得ない課題が必ずあること、それを引き受けているのかどうか、教会の態度として、教会の言葉として発信しているのかどうかぐらいは問われているように思えます。
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