那覇の国際通りから、真喜志の市場の方に歩いて行く通りの菓子屋さんに、サーターアンダーギーなどと並んで、碧色の葉っぱで包んだ、細長い長方形の菓子が積み上げてあります。沖縄の餅・沖縄の言葉では“ムーチー”です。緑の葉っぱは月桃(サンニン)で、葉っぱをめくると黄色っぽかったりするのは、黒砂糖味のムーチーです。ムーチーは、糯米(もちごめ)の粉を水でこね、月桃、または蒲葵(クバ)の葉っぱで包み蒸しあげてできる沖縄の餅です。
2月6日で、12月19日から始まった冬のもちつきがひとまず終わりました。12月19日は、西北活性化協議会のクリスマスの集まりに協力して、約40キロの餅をつきました。協力したのは、幼稚園の母の会、のびーるの会、アートガレーヂでした。12月23日には、地元の南昭和町自治会の餅つきに協力して、約30キロの餅をつきました。自治会の人たちが幅広く参加し、西宮公同教会、教会学校スタッフや子どもたち、幼稚園の先生などが参加協力しました。12月30日の午前は、神戸市兵庫区本町公園南の、兵庫県被災者連絡会の餅つきに協力して、約60キロの餅をつきました。1995年の兵庫県南部大地震のその年の12月に、神戸市役所前で、被災した人たちを支援するのに餅つきをし、その後ずっと続いている餅つきです。今年は、西宮公同教会教会学校のスタッフや子どもたち、幼稚園を卒園した中・高・大学生、先生たち約15人が参加協力しました(今年も、この餅つきで教会などの関係者に年末に届ける餅、約10キロをつかせてもらいました)。12月30日は、被災者連絡会の餅つきが終わると、道具一式をトラックに積み直して、神戸市役所南の東遊園地での“神戸の冬を守る会”の炊き出し(神戸の路上生活の人たちを支援する年末・年始の炊き出し)を餅つきで協力し、約20キロの餅をつきました(これも毎年のことで、更に炊き出しの味噌汁は、教会南の日本料理店「花ゆう」さんが、おせち料理で大忙しにも関わらず、伊勢エビの頭などを“ダシ”として提供して下さっています)。この餅つきには、炊き出しのスタッフはもちろん、路上生活者も加わります。餅つきは、そこにいる人たちを例外なく参加者にしてしまいます。東遊園地の餅つきは、一年をしのいできた路上生活の人たちとの“再会”の時にもなります。1月9日には、西宮北口の北東地区のアクタ振興組合に依頼された餅つきで、約40キロの餅をつきました。こうして“出張”でつく餅つきは、どんな場所のどんな場合でも、必ずマキで火を焚きます。1995年1月17日の、兵庫県南部大地震からは、火を焚くのに北海道滝川の中川金物店からマキストーブを届けてもらい、それを使っています。そして、あの時の地震で壊れた家の柱や梁などが、燃料のマキになってきました。10年目くらいまでは、ずっと壊れた家の廃材がマキになっていて、今も少しですがそれを使っています。
2月6日には、この冬最後の、幼稚園・教会学校などの餅つきで約85キロの餅をつきました。餅はきなこ、ごまだれ、だいこんおろし、あん、黒豆入り(塩味)、えび入り(塩味)、よもぎ入りなどのあれこれ趣向を変え味を楽しみます。黒豆入りの餅は、蒸す30分ほど前に黒豆を水に漬け、糯米と同時に蒸しはじめます。蒸しあがると塩をふりかけ、少し力を抜いてつくのがコツです。蒸して熱したもち米は、“たたく”ことによって餅になります。
米の多くはごはんになるうるち米ともち米に分けられる、人が生きる“主食”となる穀物です。米が主食になるのは、含まれている澱粉が栄養・熱になって人が体を動かす時の原動力になるからです。米の澱粉の成分として、うるち米は、アミロペクチンと他にアミロースの成分が20%含まれるのだそうです。糯米の澱粉の成分はアミロペクチンのみで、アミロペクチンが粘り成分である為に餅はうるち米よりねばるのです。ただし、天然の結晶状態にあるアミロペクチンは粘り成分が働きません。例えば、糯米は蒸しただけの状態だと、普通のうるち米とおなじようにばらばらです。加熱して更につく・たたくことで、「デンプン中の糖鎖間の水素結合が破壊され糖鎖が自由になった状態で」糯米は“餅”になるのだそうです。ですから、冷えてしまった餅は、粘り気が保てなくてぽろっと崩れてしまいます。更に、餅は消化がよいとされるのは、つくことで米粒が砕かれているのですから当然そうなります
(2月6日で終わることになった、5回の餅つきではよもぎ入りの餅をつきました。春先に、幼稚園の子どもたちと出かけた散歩の時に摘んだよもぎです。中でも、昨年は、茨木市のレンゲ畑に出かけた時の安威川の河川敷で、柔らかいよもぎが大量に見つかって、それがよもぎ餅になりました。よもぎの粉は市販されていますが、春先に摘んで冷凍保存したよもぎには香りも色も格段に劣ります)。
[バックナンバーを表示する]