山北宣久日本基督教団議長の「2010年度教区総会への挨拶」(以下“2010挨拶”)は、「主の名のもとに集められ」「共に主のご委託に応えんと」「主の恵みが豊かに注がれるよう」などの言葉で始まる、長い“まえがき”があって、以下のような7つの項目があげられています。
1.「伝道所の内容と位置づけ」について
2.「能登半島地震」の被災支援について
3.教団財政について
4.年金について
5.世界宣教について
6.統一教会問題との関わりをめぐって
7.部落解放センターについて
“まえがき”の冒頭で言われている“主”は、たぶん「ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて言われた、『時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ』」と、マルコによる福音書に書かれている、イエスのことだったりします(1章14、15節)。その主(イエス)が“み名のもと”“ご委託”“恵み”として“時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ”と言ったりする場合の“神の国は近づいた”は、何時、何処で、誰のこととして考えられていたのだろうか。
“2010挨拶”では、長いまえがきがあって、「未受洗者への配餐は違法」とそれに対する「北村慈郎教師に免職処分」、そして前述の7項目が、何時、何処で、誰のとして言及されている事になります。例えば、マルコによる福音書の“神の国は近づいた”は、そうして言及している通り、何かの手続きを踏んだ先の目標ではなく、その時そこで生きる人たちの生き様の中で、あるいは生き様そのものとして、理解されているように読めます。だとすると“未受洗者への配餐は違法である”とし、そのことで“北村慈郎教師に免職処分”とするようなことは、“神の国は近づいた”、主(イエス)の神の国では起こりにくいと考える方が自然なのです。
以下1~7における主(イエス)の“神の国は近づいた”を考察します。
“伝道所”は、この時の2010挨拶が届けられた兵庫教区の場合、16伝道所(教団年鑑2010)ということになります。たとえば設立が1955年のN伝道所は、56年間伝道所です。そうして貫かれた歩みのことは、「伝道所の現状に示される教会的機能と教務の位置づけを出来るだけ教規に於いて明確にする」での検討対象ではなく、まさしく、かつて今も“神の国は近づいた”歩みそのものです。
“「能登半島地震」被災支援について”が示している、教会堂等の建物だけに自然災害の被災の目が向くという了見の狭さは、その了見の狭さの分だけの“神の国”理解になっています。
“教団財政について”は、なにしろ財政のことですから、そのことが取り上げられるとしても、いくつかのことが意図的に除外されています。例えば、2010挨拶が届けられているのは教区なのですから、「教区活動連帯金」のことで、いくつかの教区が“連帯”を意図的に力でゆさぶっている事実が言及されていません。沖縄教区の歴史的な歩みに連帯する働きとしての「教団沖縄宣教連帯金」も、一方的に減額してしまいました。主(イエス)は、お金のことでも了見が狭いらしいのです。
“年金について”によれば、教団の教師年金はいわゆる加入者の負担とは別に、年金支給の為に約6000万円の手当を必要とする年金です。前述の、いくつかのことでは了見が狭かったりしますが、ここで働いているのは別の基準です。
“世界宣教について”は、「プロテスタント宣教150年記念行事」への言及で始まっていますが、何よりも問われるべきなのは“何時”“何処で”“誰が”であるはずです。世界宣教の名のもとに、生活や文化の破壊、先住者の生存を脅かすことにおいて果たしてきた世界宣教を問うことから始めるとすれば、プロテスタント宣教150年の“記念”は、別のものであらざるを得なかったはずです。
“統一教会問題との関わりをめぐって”が“めぐって”であることの理由の一つは、ある宗教への問いが、必ずしも自らの宗教の根底を問う問いになっていないからです。主(イエス)の“神の国は近づいた”は、人を神の国へ駆り立てるのではなく、その時そこで生きた人たちの生き様そのものが神の国であった時、いわゆる統一教会問題は起こり得なかったという意味で、自らの宗教の根底を問う問いなのです。
“部落解放センターについて”言及されていることからは、だったらなぜ“未受洗者への配餐は違法”“北村慈郎牧師に免職処分”になったりするのかの疑問は強く残ります。「解放劇部門、新学校教育部門、連帯部門、広報部門、狭山事件再審要求運動部門に分かれての取り組みは成果をあげて」いるのだそうです。しかし、部落解放が“差別”への叫び、「・・・人の世の熱あれ、人間に光あれ・・・」で始まった、その時そこで生きた人たちの生き様が解放への闘いであったとしたら、なおのこと“未受洗者への配餐は違法”“北村慈郎牧師に免職処分”にはつながったりはしないのです。(兵庫教区総会は2010年5月16日~17日神戸教会で)
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