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2010年06月01週
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 安永早絵子さん(パーカッション)、城村奈都子さん(ピアノ)の“音楽”を子どもたちに届ける為同行した三宅島は、深く青い海で囲まれた島でした。船の着いた、錆ヶ浜港にまで迫る緑の山には、“白化”した木が見渡す限り広がっていました。10年前で噴火で死んでしまった木と、10年かけて再生しつつある緑なのです。
 

 2000年の噴火の時、全島避難で島を去った人は3800人でした。今、三宅島に帰って生活している人は、2800人です。ガスレベルが断続的に通報される三宅島は、レベル2になるとガスマスクが必要になります。
 

 以下、「三宅島新報」に依頼された文章と、「孫」に三宅島について書いた文章です。



 三宅島の噴火と、その後の全島避難のことが伝えられる中で、この災害が島の人たちに与える影響は、“伝えられている”以上のものであることを思わされていました。
 

 1995年1月17日の兵庫県南部大地震の死者は5,480人でした(後に、関連する死者も加え6,434人になりました)。文字通り生き残った人たちにとって、避難所、応急仮設住宅、災害復興公営住宅での生活は厳しく、中でも高齢の被災者の“孤独死”は、今も起こり続けています。大きな自然災害が、その時で終わりにならないという思いが、兵庫県南部大地震ボランティアセンター、被災者生活支援長田センターのその後の活動につながってきました。
 兵庫県南部大地震では、18歳以下の子どもたちが514人亡くなりました。1995年1月17日の朝、その朝を家族と迎えることが叶わなかった子どもたちです。514人の中には、抱っこしたり、おんぶしたり、一緒に縄跳びを跳んだ子どもたちが3人いました。亡くなった514人の子どもたちのことでは、一人一人に生きた生活のあったことの“記録”を作ってきました。亡くなった子どもたちを追悼する歌も生まれ、追悼コンサートで今も歌われ続けています。
 2000年の三宅島の噴火と全島避難では、東京都あきる野市秋川高校の寮で、避難生活を送ることになった小、中、高校生のことが、気がかりでした。その年のクリスマスの頃に、私たちのささやかな思いを込めて、贈り物を届けることになりました。そのことが始まりになって、ささやかな贈り物を届けることを、今も続けさせてもらっています。
 2009年8月の、兵庫県佐用町の豪雨水害の後、その年のクリスマスの頃に佐用町の子どもたちに音楽を届けました。時を同じくして、三宅島の子どもたちに“音楽を届ける”という提案を、三宅小、三宅中、そして三宅保育園が受けて下さって、それが2010年6月1日に実現することになりました。 
 安永早絵子さんは三宅小の音楽室にある打楽器を使って、城村奈都子さんのピアノと共演されました。二人の本気の生の演奏に小・中学生が本気で聞き入っていたことを、子どもたちのその時の表情から確信しています。
 挨拶の為の短い時間を頂いた折に、お土産の手作りの時計と共に子どもたちに伝えたかったのは、「生きていれば、必ず朝が来ること、必ず誰かが見ていてくれること」でした。
2010.6.3
兵庫県南部大地震ボランティアセンター
被災者生活支援長田センター
菅澤邦明



 あかりちゃん
おじいちゃんと おばあちゃんは、あかりちゃんが うまれるまえの 2000ねんに、しまの かざんが ふんかした、みやけじまに いってきました。しまの こどもたちに、おんがくを とどけるのを てつだうためです。みやけじまほいくえんでは、あかりちゃんの おばあちゃんの“せんべせんべやけた…”などの わらべうたあそびのあと、ピアノと カホーン(おとのでる はこのがっき)の えんそうでした。
みやけしょうがっこうでは、となりの みやけちゅうがっこうの こどもたちといっしょの えんそうかい でした。みやけしょうがっこうの がっきを つかった えんそうに、こどもたちは めをまるく していました。
 みやけじまは、いまも かざんの ふんかが つづいていて、しまの ひとたちは とてもくろう しています。でも みやけじまの うみは、とても きれいでした。しまの どこにいっても ちゅるるん ちゅるるん、ツィーツ ツィーツ、トットト トトトなどの たくさんの とりの なきごえを きくことが できました。しまの ひとたちは、きれいな うみと たくさんの とりの なく みやけじまが だいすきだ といっていました。
 みやけじまでは、しまの おじいちゃんや おばあちゃん、みやけほいくえん、みやけしょうがっこう、みやけちゅうがっこうの こどもたちと、“ともだち”に なりました。
 みやけじまの しゃしんが たくさんあります。いつか みてください。
2010.6.4
おじいちゃん
  
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