20年程前のことですが、屈斜路湖から弟子屈まで、釧路川をカヌーで下ったことがあります。屈斜路湖から始まる釧路川は、川幅5、6メートルですが、たっぷりの水が、深く“滔滔”と流れる様子に、カヌーを流れに乗り入れる時、少なからず緊張します。一回目の時は、こぎ出して間もなく、倒木に引っかかって“沈(ちん)”してしまいました。屈斜路湖から流れ出る釧路川は、自然のまま蛇行していて、外側の瀬の部分にはほぼ間違いなく木が倒れこんでいるか、倒れた木が沈んでいて、カヌーが引っかかりやすくなっています。こぎ下るうちに釧路川は、少しずつ川幅が広くなり、“滔滔”とした川の様子ではなくなってきます。川底が浅い瀬では早い流れに負けずにカヌーを漕いだりと忙しくなります。釧路川の長い川の歴史で、広がった淵(ふち)がアシ原になっていて、たまたま2隻くらいのカヌーが放置されていたりすると、こいでいた人は、どうなったのだろうと、心配になったりします。弟子屈の町に近いあたりになると、川の両岸がコンクリートの壁になってきます。弟子屈でカヌーを下りるつもりが、コンクリートの壁ではどうしようもなくて、やっと見つけた、階段部分に飛びつくようにしがみつき、上陸することができました。
自然のままに、蛇行して流れる川には、川の自然の様子をそのまま表現する名前が付けられていて、それが蛇行だったり、瀬だったり、淵、そして淀みだったりします。そして、淵や淀みにはアシが繁ってもいたりする、それが川なのです。白川静の漢字の川には、そうして自然の川を「水の流れる形」そのまま“象形”で、川になったと書かれています。しかし、屈斜路湖を水源とする釧路川も、弟子屈あたりでは、自然のままではなくなっています。
津門川は、西宮公同教会の前を流れるあたりでは、両岸が石垣の通称“2面張り”の川です。それが、国道171号線から上流の門戸あたりまでは、川底がコンクリートの“三面張り”になっています。川の“二面張り”と“三面張り”の一番の違いは、川及び川をめぐる生きものの多い少ないです。二面張りで、川底が砂だったりする西宮公同教会の前の津門川には、鯉や鯰などの、“大魚”に脅かされながら、オイカワ、カワムツなども泳いでいます。更に、積み上げただけの石垣のすき間には、おびただしい種類の植物・雑草も育っています。
津門川のことを、“学習”することで始まった、“津門川塾”の何回目かで、津門川の植物のことの報告もあって、その種類は、200種類を超えていました。
その津門川の、171号線から北には、ほぼ全く、川魚が泳いでいる様子を見かけることはありません。コンクリートで固められた石垣の川岸にも、ほぼ全く植物を見かけることはありません。
西宮公同教会を流れる津門川は“自然”な川ではありません。50年前の津門川を知っている人たちによれば、今よりも狭く、深い川が蛇行して流れていたとのことです。そんな川に入って遊んで、川ではしじみが取れたりもしました。三面張り、二面張りになった津門川は川で遊ぶことはもちろん、しじみなどが取れる川でもなくなってしまいました。
津門川の川掃除が始まって10年余り、津門川塾が始まって5年余りになります。その間に、西宮市が行なっている津門川の石垣の清掃作業の仕方が少し変わりました。5年程前までの清掃では、石垣の植物は、残さず刈り取られていた津門川が、地域の人たちと、西宮市の話し合いで、石垣の雑草を“トラ刈り”にすることで合意することになったのです。植物、雑草をすっかり刈り取るのではなく、セイタカアワダチソウ、ヨモギ、ギシギシだけを刈り取り、他は残すことになりました。見ためはともかく、川魚たちのちょっとした隠れ場所、草・花の四季が、たとえば昆虫たちが雑草と一緒に生きる川になってきました。たとえばしじみ蝶が、必ず雑草・草花を飛びまわっているのが、津門川の石垣です。津門川には、初夏になると、イトトンボが数種類、シオカラトンボ、ギンヤンマなどが、川面を行き来していて、立ち止まって川を見つめる子どもたちが発見します。
もとはと言えば、川は、そうした生きものたちすべてのものでした。昆虫や小さな川魚が、そこで生きるだけではなく、それが水鳥のエサになり、コサギ、ダイサギ、アオサギ、ゴイサギなどのサギ類、セキレイは四季を問わず見かけるし、カモが泳ぎ、カワウは津門川の最強のハンターです。
津門川は、その周辺に住む人だけの川ではなく、たくさんの生きものたちの共有の財産としての川なのです。
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