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2010年09月03週
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 主食の米が「不況に実りすぎた秋?コメ最安値圏、新米5キロ1,500円割れ」なのだそうです。“不況”“実りすぎた秋?”“コメ最安値圏”“新米5キロ 1,500円割れ”は、どこでどうつながるのか。今は“不況だ”と言われています。たとえば、大学新卒などの内定率が70%を切っていて、そのまま留年する学生が約10万人、大学院への進学が約10万人と、過去最高なのだそうです。留年の場合も、大学院進学の場合も、生活費や学費は必要ですから、“不況”で誰がその学費を出すことになるのだろうか。“不況”である限り、いつかの“好況”と比べられているのでしょうが、新たに約20万人の留年・大学院進学の若者が、命がけで働かなくても、食べて生活できるとすれば、やっぱりこの国は“不況”なのだろうか。
 

 “実りすぎた秋?”ということに、どうしてなってしまったのだろうか。6月頃に雨が多かったこともあり、いつもだったら聞こえてくる“水不足”が、7〜9月とあんなに暑い日が続いたのに静かでした。たっぷり降った雨に、“猛暑”とは言えたっぷりの太陽の光で、米は豊かに実ってしまって、“実りすぎの秋?”になってしまったようです。結果、出回り始めた新米は“最安値圏”なのだそうです。「ライフコーポレーション(大阪市)は4、5日、福井県産華越米を5キロ1,480円、10キロを2,780円で特売した」(2010年9月16日、朝日新聞)。1俵(60キロ)の米の小売り価格は、17,760円ということになります。米の出荷団体(農協など)が、卸売業者に販売する米の価格は、昨年9月で1俵15,169円、今年7月で1俵14,760円だったそうです。出回り始めた新米は、“不況に実りすぎた秋?などの影響で、昨年度より“4〜11%”下がっているそうです(前掲・朝日新聞)。昨年、農協などに出荷する生産者の米の価格は、1俵あたり約12000円と言われていました。農協などがそれに約3,000円くらい加算し、更にスーパーマーケットなどが約3,000円加算されて消費者に手渡されていることになります。生産者が農協などに出荷する米1俵あたりの価格12,000円は、計算だと、ごはん一杯あたりにすると20円前後だそうです。その程度で間に合う主食の米を食べないで、ほとんどを輸入に依存する麦・パンを、この国の多くの人たちは朝食の主食にしています。国の政策としてそのように推進されてきて、いわゆる食料の“自給率”を下げてきました。


 “実りすぎた秋?”と言われる米ですが、田んぼで米を作るのは、やさしい仕事ではありません。苗を育て、田植えをし、植えた水田の管理、そして収穫には、かなり機械が使われるようになりましたが、その現場の厳しさは変わりません。使われる機械の操作はもちろん、日頃の管理の多くは人の手に頼らざるを得ないのが米作りです。主食であるにもかかわらず1俵60キロ、12,000円でしかない米作りの苦労を最低限保障する“戸別所得補償”“差額支給”などが制度化されています。そうした“補償金”による解決は、必ずしも米作りの苦労を生きる現場の答えにならないのは、たぶん一方通行に終わるからです。食・主食という、それが直接人の命にかかわる営みであるとすれば、米作りの苦労は、もっともっと幅広く共有されていいはずです。


 “猛暑”と言われる日が続いた夏ですが、たった一週間で、そのことをすっかり忘れてしまうくらい過ごしやすくなりました。6月に大量の雨が降ったこともあって、続く猛暑と日照りにもかかわらず、水の心配はほとんど無かったようです。しかし、米作りにとって生命線である水は、今年のように間に合うより、間に合いにくかったりするのが普通です。米作りは、天候・自然によって左右されます。左右された結果“実りすぎた秋?”になっても、台風・風・雨の被害で“不作?”になったとしても、それを消費する側にとって多くの場合よそ事だったりします。


 “猛暑”のことは、あれこれ対策が提案され、冷房機器がいっぱい売れたようです。遅ればせながら、大手の電機店に出向いたところ、扇風機売り場に製品はほとんど並んでいませんでした。猛暑は機械で冷やしても、人の生活が自然の営みに大きく影響されるものであることに立ちかえって、それと立ち向かうかを問い直したりしません。


 「・・・空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれたものではないか」「また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花一つほどに着飾ってはいなかった」(マタイによる福音書6章26〜29節)。


 これは単なる自然の営みの讃美ではなく、自然の営みの前ではひとたまりもない、人という生きもののことを少なからずえぐる言葉です。自然と人とは、対等であること、いずれも祝福された何かであることへの気づきが促されているようにも読めます。
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