例年よりはおよそ2週間ほど遅く、12月1日(水)に年長の子どもたちは阪急御影駅から陵雲台への道を歩きました。渦森橋までは、路線バスの走る道に沿って歩きますが、街路樹のさくらの葉っぱはすべて落ちていました。そこから右に曲がった先が住吉霊園で、その一角に西宮公同教会"共同墓地狽ェあります。石組のデザインは立派ですが、何しろ場所が狭く見栄えがしないのが残念で、いつかは広大な場所を得て移設するのが夢です。その共同墓地を囲んで、子どもたちの歌とお祈りの後、「ここは、君たちが死んだら入れてもらえるかもしれないお墓であるが、しかし決して急ぐことはない!」と毎年短い柏煖ウ狽閠キることになっています。そこから振り返った、真上に見えているのが、元六甲ロープウェイ天狗岩中継塔、そしてその右にかすかに見えているのが、陵雲台(ガーデンテラス)のあたりです。
西宮公同教会共同墓地から先は、住吉霊園の中の林道を歩きます。途中、住吉川沿いの五助ダムの方から上ってくる石切道と合流し、陵雲台までその石切道を歩きます。建物の礎石、石垣や墓石などに使われる代表的な石東芍e石狽ニも呼ばれる花崗岩は、この石切道の各所で採石され、石切道を経て御影まで運び出されたことから、その名が付いたのだそうです。登山道の石切道を歩いている限りでは、狽ヌこが石切道?狽ニいうような道ですが、15年前の地震の後、2か所、大きな花崗岩が登山道を塞ぐように転がり出ましたから、どこかで御影石の埋まった石切道ではあるのです。12月になってしまった六甲山は、まだまだ山全体の紅葉を楽しむことができます。と言っても、"紅狽ヘ少なくて、ほんのたまにはぜの仲間が真っ赤に紅葉しています。他、オレンジ(橙)色はならやこなら、黄色はやしゃぶしやこしゃぶしのはずです。50~60年前の六甲山は"ハゲ山狽セったと言われます。燃料になってしまったのです。花崗岩が風化した山は降った雨をすべて吸い込んで、限度を超えると崩れ、大きな被害になったこともあります。その六甲山の砂地にも根を張って育つということで植えられたのが、やしゃぶしやこしゃぶしだと言われています。で、山が砂地であることが、六甲山を歩く時に好都合になっています。前日・前夜にかなりの雨が降ったとしても、砂地が水を吸い込むために登山道はからっとしていて歩き易いのです。
11月17日の摩耶山の時には、ほぼ全く見つからなかったぐみが、石切道の由来を示す表示板のあたりで少しだけ見つかりました。もともとが小さい秋ぐみの実は、更に小さくて実りぐあいもよくありませんでしたが、たった一粒でも、その甘さと酸っぱさで少しばかり気分を引き立てる力になるのです。阪急御影駅から陵雲台までは、標高差約800メートルの道を、約4時間ほどかけて子どもたちは歩きます。新神戸から市ヶ原を経て摩耶山へ登る道は、登り下りを繰り返しますから、標高差の合計は800メートルを超えます。11月から12月にかけての六甲山は、その日のお天気次第で、気温(体感温度)もずいぶん違ってきます。雨具の用意のない子どもたちの六甲登山の条件は、朝に雲一つない晴天であることが条件です。
何よりもそんな晴天に応援してもらって、更に一緒に歩く仲間がいて、4時間前後を歩き続けることができます。もう一つの何よりの応援は、歩いていて出会う人たちからの励ましです。12月1日には、頂上まで約1キロの石切道でも一番急な斜面を登っていて、歩いている2人連れに出会いました。石切道で歩いていて、何よりもびっくりしたのはこの時の2人だったようです。大勢の子どもたちが12月の六甲山石切道をわいわい歩いているのに出会ってびっくりして、それが阪急御影駅から歩いてきたことを聞いてびっくりして、歩いていたのが幼稚園児であったことをびっくりして、という具合でした。そして、"がんばってね!狽ニ声をかけてもらって、というか山道で人と出会って声をかけ合うことでもう一歩先へと励ましてもらうのが山歩きです。
そんな具合で祷Z甲山を陵雲台からケーブル山上駅まで歩き、更にケーブル山下駅から阪急六甲まで歩いて帰ってきた西宮北口駅前公園の工事現場で、唯一残された欅の枝が切られているのにびっくりしてしまいました。すぐに西宮市の担当者に問い合わせたところ、「むくどりが集まってて、欅の回りに新設されるベンチに落される糞が困るから切った」とのことでした。集まっているのは“雀”であることも確認できていないし、小さくても人と小さな生き物は共存できる公園なのに、大急ぎで欅の枝は伐採されました。もし、欅の枝に集まる雀の糞が困るのであれば、「雀の糞に注意して下さい」と、人に向かって注意をうながせば済むはずです。雀たちが集まる大切な木の枝を切って雀を排除する公園は、人を励ます公園とはなりにくいはずです。
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