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2010年12月04週
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 1995年の兵庫県南部大地震の時、学校などに避難していいた人たちが、食べ物などの次に困ったのはお風呂でした。住んでいた家が壊れて避難していたのですから、もちろんお風呂も壊れてしまいました。住んでいた街に残っていた銭湯の多くも地震で壊れてしまいましたから、お風呂というものには入りようがなかったのです。2月頃になって、おもしろい風呂のことを紹介する新聞記事を見つけました(・・・だったと思います)。御影高校のグランドの隅に、その装置が設置されていて、焼却炉を冷却する為に循環される水が温水になって、それをお風呂に使うという装置でした。強力な送風機で全方向から炉内に風を送り込むことで、効率良く、どんなものでも燃やしてしまう優れものの焼却炉ということでもありました。その当時、焼却するもの、燃料には少しも困りませんでした。街中が壊れて燃料になってしまったのが、兵庫県南部大地震でした。中でも、たくさん壊れることになった古い木造の家は、壊れてしまったとしても、すべてが立派な燃料でした。寒い冬の地震でしたが、そうして壊れた家・木材は、ほとんど燃料としては顧みられることはありませんでした(“ガレキ”と見なされた壊れた家は、大量に野焼きされることになりました)。


 御影高校に設置された焼却炉は、壊れた街のほんの少しを燃料にして沸かしたお湯で、避難している人たちの待望のお風呂になっていました。そんなことを新聞記事で見つけ、出かけて行って目の当たりに見、西宮公同幼稚園に避難している人たちのお風呂の為に設置することとなりました。大き目の角材をそのまま投げ込んでも、ごうごう音をたてて燃えました。循環して熱くなったお湯を、いったん小型のステンレス製のお風呂に移し、幼稚園の2回のプールまでポンプで揚げる“大浴場作戦”は、とりあえず大成功でした。何しろ、燃料は街中にあふれ返っていました。焼却炉が二重の鉄板になっていて、その間を循環する冷却水は短時間でお湯になりました。ただし、この焼却炉の欠点は、循環させる水で錆びてしまうことで、使う時間が空くと赤いお湯になって出てきたものでした。
避難している人たちのお風呂として使った後は、子どもたちの温水プールになるはずでしたが、もっぱら焼却のための炉として使われることになりました。10年ほど前から焼却炉の扱いが厳しくなり木材や紙以外は燃やせなくなった為、使う回数もかなり少なくなりました。そうこうしているうちに、滞水した水で鉄が腐食して穴があいてしまい、5、6年前からは、焼却炉としても使えなくなってしまいました。


 で、撤去をどうするか思案していた時に、思いついたのがマキを使うパン釜に改造することでした。燃料になるマキが容易に入手できることが条件でしたが、篠山市後川との交流が始まって、その目途はついていました。後川の場合も、間伐が間に合っていない人工林があり、その扱いに困っています。スギなどであっても条件が整えば間伐材は燃料として使えなくはありません。同じように、炭に焼いたりすることをしなくなった雑木林は、木が大きくなりすぎることで森が荒れていたりします。里山は、手を入れ適度に伐採することで森として生命力を保つことができるのです。もし使うならば、燃料になる木が、そこにはたっぷりあるのです。後川のFさんの栗園の道沿いには、働きを終えて伐採された栗の丸太が、ずらっと積み上げられていました。Fさんとの話で、燃料として自由に使ってよいという了解を得ていました。


 燃料になるマキの入手が可能で、撤去するよりない焼却炉があって・・・その焼却炉を製作した鉄工所と相談したところ、パン釜への転換を「やってみましょう!」で決まったのが、焼却炉改造パン釜です。2010年12月18日に、改造したパン釜が到着し、その日のうちにさっそく火を入れ、試してみたところ、時間はかかったものの、パンは焼けました。更に、手元にあった「白神こだま酵母でパンを焼く」(大塚せつ子著、農文協)で紹介されていた酵母を入手して、本格的な酵母パンがしかも大量に焼けることが解りました。但し、内径の幅55センチ、高さ65センチ、奥行きが80センチを越えるパン釜は、案の定大量の燃料を必要とします。間伐材(間伐が間に合わなくて、荒れてしまっている人工林の杉など)、雑木などのマキが、大量に入手可能なことが条件で始まった、改造パン釜ですが、ひょっとすればおもしろい展開になる可能性はあります。


 生きるということは、確かな何かを積み上げるよりは、不確かで取るに足らないものを手探りでつなぐことで、少し前に進むことであるかもしれません。手作りの酵母の香りのするパンを口にすることができるとすれば、そんなことの結果だと思っています。
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