いろいろあった一年が良い終わりになって、良い始まりになりそうなのは、年が押し迫った頃に、「ある小さなスズメの記録」(クレア・キップス著、梨木香歩約、文芸春秋)のことを教えてもらい、読むことになったからです。
彼(スズメ)と、著者クレア・キップスの出会いは、「・・・玄関前で、明らかに瀕死の状態にある、丸裸で目も見えていない、おそらく数時間前に生まれたばかりなのだろう小鳥を見つけた」「生まれたばかりの赤ん坊が玄関先に置き去りにされていたら、見捨てる訳にはいかないだろう」ことから始まります。そのスズメ(後に、クラレンスと名付けられる)とクレア・キップスは、「十二年と七週と四日の間」生活を共にすることになります。一般に、スズメはもちろん、野生の生きものが長寿を全うすることはあり得ませんから、そのことは奇跡というよりない長命ということになります。人が小さな生きものに出会って、その違いを了解し合いながら、一緒に生きる時、その原動力になる何かが働いています。その“何か”は「ある小さなスズメの記録」。サブタイトルでは「人を慰め、愛し、叱った、誇り高きクラレンスの生涯」として書かれています。その“何か”について、“訳者あとがき”でも少なからず言及されています。「対象と距離を取って観察する、というのはナチュラリストの特質だが、彼女の『距離』は決して合理主義的に対象を『モノ』として観察する、という血の通わない質のものではない。ともすれば抜き差しならないものになりがちな二者間の関係性に巻き込まれることなく愛情を注ぐ、という温かな『距離』感、理想的なパートナーシップになっていると思う。大人の寛容と冷静、女性のふくよかさを身に付けた女性なのだろう」。
死を待つしかなかった小さな命が、「生まれたばかりの赤ん坊が玄関先に置き去りにされていたら、見捨てる訳にはいかないだろう」という出会いをし、「十二年と七週と四日の間を生き抜き」「クラレンス その名もほまれ高き いとしい スズメよ」との墓碑銘が捧げられた小さな墓に葬られるまで生き抜きます。
スズメのことでは、少なからず残念なことが起こっていました。阪急西宮北口の北出口前の公園は、整備されて新しくなりました。その仕上げの段階で、スズメのふんが落ちて困るという理由で、一本だけ残されたケヤキの先端の部分が切られてしまいました。駅前公園の整備、中でも地下駐輪場を設置するにあたり、運び込まれる“重機”の回転の妨げになるということで、一本だけ残されることになった木の、下の部分の枝が切られることになりました。その“一本だけ”も残されることになるまでの経緯があります。全てを除去して、新たに植栽し直すというのが最初の方針でした。もし、そうなってしまったら、この街に戻ってきた人が最初に足を踏み出す時の、最初の記憶、それが駅前の小さな公園の桜やケヤキであるとして、それを消し去るのはあんまりだという主張が、にしきた街づくり協議会の協議で通って、一本だけケヤキが残されることになりました。
そのケヤキには、公園を整備する前にも夏から冬にかけ、夕方になるとスズメが集まって鳴いていました。夜がふけると、スズメたちは静かになり、朝気が付いてみると、一羽もそこには残っていませんでした。夏休みが終わること、お父さんの店が公園のすぐ近くになるH君が、公園のスズメのことで自由研究をすることになりました。そこを通過する多くの人は、一瞬スズメの鳴き声に気付くことはあっても、ただそれだけのことです。しかし、駅近の、少なからず明るかったりする公園に、夜になってスズメが宿りに来るのが何故かは、考えてみれば疑問ばかりです。その疑問に挑戦することになったH君です。H君も、夕方スズメたちがやって来る方角や時間、朝になるとどこかへ飛び立っていく方角や時間などを調べる為に、自分でも朝晩公園に出かけたり、職場の近いお父さんにも手伝ってもらったりしました。更に、街の人たちが、そんなスズメにどこまで関心を持っているのか、アンケートを行うことになり、それも手伝うことになりました。そうして出来あがったH君の自由研究は、学校で優れていると注目され、全市から集められた優れた自由研究の中でも、更に優れていると注目された自由研究の一つに選ばれることになりました。身近に小さな生きものがいることに気付き、いろんな人の力を借りながら、その生き様に迫ったことが、自由研究を研究たらしめて、注目されることになりました。そのスズメの宿る公園のケヤキが、新しくなった公園のベンチを、スズメのふんで汚すことが理由で、スズメが集まりにくくなる為に枝を切られてしまいました。で、ガッカリしている時に教えてもらったのが「ある小さなスズメの記録」です。さっそく、余分に買い求め、H君にも届けることになりました。
H君
H君の、にしきた公園のすずめの自由研究がきっかけ
で、すずめのことが、今までよりはだいぶん解るようになりました。感謝しています。公園のすずめのケヤキが切られてしまったのは残念です。公園のすずめとケヤキのこと では、歌もできてしまいました。それと、ケヤキが切られ てしまって残念だったので、別にカードも作ってしまいました。
にしきたこうえんのすずめとケヤキのことは残念ですが、年末になって、いい本を見つけました。大急ぎで読んでみましたが、いい本だと思っています。と言うより、いろんなことがあった2010年ですが、この本と出会えて、いい2010年になって、2011年を希望を持ってむかえられそうです。
それで、「ある小さなスズメの記録」を、H君のすてきなにしきた公園のすずめの自由研究への、特別プレゼントにさせてもらいます。H君が読むのには難しいかもしれませんが、いつか機会があったら読んでください。
2010年12月30日
西宮公同幼稚園
えんちょう(菅澤邦明)
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