冷え込んだ、幼稚園の庭の隅っこで、ひっそり水仙の白い花が咲いています。門を入ってすぐの、月桂樹の根元にありますから、誰の目にもつくはずですが、日当たりの良くないその場所で、伸びた葉っぱの間で二本だけ咲いている水仙です。幼稚園の通路にある山茶花は、同じように日当たりの良くないその場所で、低木のまま薄紅の花を咲かせています。咲きはじめたのが12月末ころで、散ってしまったものもあれば、今つぼみをふくらませつつあるものもあります。
昨年、5月頃に白い花をいっぱい咲かせたはっさくは、11月頃黄色くなりはじめると同時に、ぽつりぽつりと実を落とし、年が明けてからも、どんどん実を落としています。程良いすっぱさの、それを包むような甘さで、子どもたちにも大好評なのが、幼稚園の庭のはっさくです。毎年、大小150~200個ぐらいの実をつけていたのですが、昨年は、全体に実が小さく数も少なめでした。数年前から木の上部に枯れ枝が目立つようになって、それが多くなっていました。昨年末にかけて、枯れている部分が更に目立つようになって、残っている実も50個くらいです。夏の猛暑などの影響が大きかったのでしょうが、10年余り、ずいぶん頑張って実をつけてきて、疲れが出てしまったのかもしれません。
“疲れ”ということだったら、昨年の幼稚園の庭のいちょうの実・銀杏のつきようは尋常ではありませんでした。9月に少し風が吹いた日に、銀杏のその重さにしなった太い枝が二本、折れてしまいました。10月末頃から、銀杏の処理が始まります。最近は、銀杏は黄色くなってもなかなか落ちません。やむなく、はしごをかけて一枝一枝ゆすって落とすことになります。それを、たくさんの人が手伝って、皮をむき乾燥させ、公同まつりの店に並べます。公同まつりの11月13日に間に合ったものだけで、約50個入り200袋に達しました。公同まつりの後も銀杏の処理は続き、更に約50個入りの袋で50袋以上の実になりました。銀杏の重さで枝が折れてしまうくらいの、その余りの頑張りように、“お疲れさま!”という意味も込めて、昨年末の園庭の木の手入れでは、久しぶりにいちょうの枝を切ってしばらく休んでもらうことになりました。幼稚園の三本のいちょうは、およそ30年前の園舎の建て替えの時に、園舎の配置が変わった為に2回植えかえられることになりました。その頃の幹の太さは、たぶんふた握りくらいでした。30年経った今も、幹はそんなに太くなっていません。同じ頃に植えられた﨔がひとかかえくらいになっているのとは大違いです。で、ばっさり切られた部分のいちょうの年輪を数えてみると、32本(たぶん)ありました。10年程前の台風で、太い枝が折れてしまった﨔の枝を、1メートルくらいに切りそろえて残しています。よく乾いた﨔の枝を輪切りにし、両端を子どもたちがサンドペーパーでみがいてペーパーウエイトにしたり、今でも時々登場します。残っている﨔の、いちょうくらいの太さの枝を見つけ、年輪を数えてみるとちょうど10本ありました。約30年のいちょうと、10年の﨔が同じ太さなのは、いちょうの育ちがそれだけゆっくりしているからです。いちょうの“漢名”は公孫樹です。老木でないと実らず、孫の代に実をつける、ということでいちょうはそんな名前で呼ばれるのだそうです。
田舎の富山県氷見市の銘菓の一つが“銀杏もち”です。銘菓銀杏もちの由来は、市の中心部の寺の境内にある、樹齢約1500年、幹の周囲が17~18メートル、大人12~13人でやっと抱えられるといういちょうの老木です。いちょうが自慢で、その土地の銘菓になりました。その銘菓の銀杏もちの、それらしい痕跡と言えば、ほんのり薄緑色であることです。いちょうの実・銀杏は、茶碗蒸しの底の方で見つかると、ほっとして嬉しくなりますが、そのものを味わうのだったら、炒って食べるのがうんと優ります。銀杏専用の炒りかごがなくても、フライパンに20個ぐらい並べ、少しゆするようにして、2、3個はじけるくらいだと、全体が食べ頃です。食べ頃に炒った銀杏は固い殻を外し、薄皮をむくと、薄緑の半透明の姿を現します。その半透明の緑の美しさで、更においしく食べられるのが銀杏です。それは、表皮の処理の時の、強烈なにおいからは考えられないくらい美しく、そして美味なのです。
昨年も、いちょうの実・銀杏の取りきれなかったものが、枝に残ったままでした。葉っぱが落ち始めて、すべて落ちてしまうのもずいぶん遅かったような気がします。そんな様子を目の当たりにすると、すんなり季節の移り変わりを心に刻むという訳に行かないまま、秋から冬を迎えてしまうようで、何ともすっきりしないのです。
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