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小さな手大きな手

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2011年01月04週
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 たまに、新聞のパズルの回答に付き合うことがあります。半ページ60くらいの熟語の空白は、過去の経験と記憶の蓄積がつながって初めて埋めることができます。1995年の兵庫県南部大地震のことでは、今も残っているものが(あるいは残してきた)その時の、記憶になってきました。1995年1月17日午前5時46分で止まって、そのままになっている教会・幼稚園事務所のタイムレコーダーはその一つです。電動チェーンソー、スニーカー、象のおりのピン(?)、将棋盤なども、一つ一つが忘れられないその時の記憶です。


 16年間使うことのなかった、電動チェーンソーを使い始めています。メーカーに直接問い合わせたところ、替刃の在庫もあって、昨年末から始まったパン窯のマキ作りに役立っています。16年前の1月17日に、「・・・人が埋まっているから、掘りだすのを手伝ってほしい」で始まったその現場の教会を、その時々に思いつく限りの道具、工具を運んで往復します。その一つが、電動チェーンソーでした。お母さんと子どもが埋まっている隣の建物からの電源で、電動チェーンソーは、少しは役に立ちましたが、そんなに役には立ちませんでした。「Rを助けて欲しい」というお母さんの声をたよりに、屋根などをめくっても、梁などが人力ではどうにもならないところ、それをカットするのに電動チェーンソーは、少しは役に立ちました。しかし、梁などに張りめぐらされている電気の配線、押しつぶされた空調の室内機などを除くのに挑んだものの、電動チェーンソーでは歯がたちませんでした。埋まってから約6時間、お母さんは助け出されましたが、お母さんが助けて欲しいと訴え続けたRくんは助かりませんでした。その時から16年間、その時の電動チェーンソーを使うことはありませんでした。助けられなかったR君の記憶、電動チェーンソーが少ししか役に立たなかったことの記憶としてそのまま残してきました。


 Kさんが、ソファーに座っていたりする“95.1.24”の日付の入った犬の写真数枚を届けてくれました。2011年1月16日の、西宮公同教会兵庫県南部大地震犠牲者追悼の日記念礼拝で紹介した犬、コロの写真です。コロは、5人家族の3人が犠牲となった、Sさんたちが飼っていた犬です。重傷で入院中のお母さんから、壊れた家が撤去される前に、「取り出せるものなら、写真を!」とお願いされ、亡くなった子どもの当時の担任がもぐりこんだ台所あたりで、犬を見つけ助け出してきたのがコロでした。その犬のコロを、待機の場所にしていた会議室で預かることになり、夜は一緒にシュラフにもぐり込んで寝ることになりました。家族がいなくなって閉じ込められたコロは、とても不安定で、夜中に起きだして部屋を歩き回り、脱いであったスニーカーをいつまでもかじったりしていました。そのコロを、自宅で犬を飼っていて、犬にも犬を飼うのにも慣れているKさんに預かってもらうことになりました。それが“95.1.24”の日付のコロの写真です。コロがかじったスニーカーは、その時のコロの記憶としてそのまま残してきました。


 1996年の1、2月頃、幼稚園の卒園を前にしたEちゃんと、幼稚園の玄関や隣りの文庫の部屋で、時々将棋盤をはさんで対座していました。お兄ちゃんのMくんも将棋がなかなか上手なEちゃんは、将棋のできる幼稚園児でした。その時の将棋盤が今も残っています。1995年の3月頃、西宮と芦屋の市境あたりで最も被害の大きかった森具地区の、壊れた家が撤去された道路に使い古された道具類が投げ出されていました。その中の一つが、4本の足は健在なものの、少しぐらぐらしている将棋盤でした。ぶら下げて持ち帰った将棋盤と買い求めた新しい駒で、何度となく対座することになったのが、幼稚園児Eちゃんとの将棋(本将棋)です。壊れた家がガレキとなって撤去された中には、将棋盤もある道具類が投げ出されていた記憶、その将棋盤で幼稚園児のEちゃんと対座した記憶と共に、その将棋盤は集会室に今も残っています。


 長さ20センチ、直径8センチの鉄製のピンは、地震で壊れた家が、ガレキになって運び込まれ、およそ3ヶ月に渡り昼夜を問わず焼かれた、西宮市甲子園浜の現場で拾ってきました。ピンは、野焼きをする西宮浜の現場で、誰かの発案で建設された、巨大な象の檻の巨大な扉を開閉する為の、上下のピンのうちの一本です。繰り返し訪れていた野焼きの現場のガレキの山の上にたまたまその巨大な姿を見ることができました。数日後にそれを見た時、巨大な象の檻(かがり火を焚く時の鉄のかごのような)の、底の部分の鉄の棒はすべて、ぐにゃっと曲がって垂れ下がっていました。数日後にそこに行った時、巨大な象の檻は影も形もなくて、拾ってきたのが巨大なピンです。住んでいた家が壊れ、撤去したガレキを、効率良く燃やすべく考案された、鉄製の巨大な象の檻のことは、たぶん全く存在しなかったことになっているのでしょうが、それが突然現れて、焼けただれて、ピンだけ残して撤去された記憶としてのピンは今も手元にあります。


 1995年1月17日の兵庫県南部大地震で、家族の誰かを亡くした人たちは、家族の一員であるべき人の不在がどんな記憶にも増して、その事実を突きつけることになって、16年間を生きてきたことになります。
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