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小さな手大きな手

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2011年01月05週
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1974年に、西宮市の甲山学園園児2人が、浄化水槽で亡くなったという事件の時の学園長の荒木潔さんが亡くなりました。事件は、保母の山田悦子さんが園児殺害容疑で逮捕されたものの処分保留で釈放、4年後、山田悦子さんが再逮捕、荒木潔園長と保母の多田いう子さんが山田さんのアリバイ証言の偽証で逮捕されることになりました。7年後の1985年に神戸地裁は無罪判決、検察側が控訴し1990年に大阪高裁は一審判決を破棄、神戸地裁に差し戻し、1998年に2度目の無罪判決、検察側が再控訴、1999年大阪高裁が控訴棄却し、3人の無罪が確定しました。荒木潔さんは2人の園児が亡くなり、保母の山田悦子さんが逮捕され、自分も偽証罪で逮捕されるという事実を引き受けて生きた25年間、無実にはなりましたが何一つ終わった訳ではありませんでした。1999年に裁判は終わったものの、2人の園児が亡くなった重い事実、その後続くことになった裁判の重い事実を引き受け続けて、荒木潔さんは79歳の人生を終えることになりました(以上の概要は、公同通信1月号後記より)。
 

 障害を持った子どもの施設で起こった事件の裁判がおよそ25年もかかってしまったのは、それが施設の内部・密室で起こったこと、犯人は内部の者であるという前提での事件になってしまったからです。すぐに否認するとは言え、一旦"自白狽オたりすれば粕ニ人視狽ヘ永久に消えることはありません。密室の事件で、消去法で一番怪しい人物が特定、逮捕され、自白もしたことが流布されれば、世間の人は間違いなしにその人を犯人視します。当時の園児たちの「現場を見た」という証言をもとにした再逮捕、更に、アリバイを証言した2人も偽証罪で逮捕され、始まるのが甲山学園事件裁判です。


 という難しい裁判の弁護団の中心になって担ったのは、司法修習を終了して間もない、大阪、神戸の5人の弁護士でした。出されてくる“証拠”を限られた条件のもと、粘り強く崩していく取り組みは、事件と共に歩んだ若い弁護士たちを鍛え上げました。荒木さんを告別する席に、その時の弁護士たちも座っていました。再逮捕の一番の決め手になったのは、「現場を見た」という園児たちの3年後の証言でした。場合によっては、2、3日前の夕食のメニューや時間についてさえ、正確に記憶していないという人の常識は、障害を持った子どもの場合も同じです。障害から人を見るのではない人間理解を、法廷で証言したのが、後に、西宮公同教会・公同幼稚園で障害理解などのことでお世話になる、浜田寿美男さん(当時花園大学)、故岡本夏木さん(当時京都教育大学)です。人として障害児を見る人間理解は、当時も今も少数派かも知れませんが、説得力がありました。


 1976年頃国賠訴訟の傍聴から始まって、事件、裁判の傍らに居続けた何よりの財産は、西宮公同教会を会場に開催されてきた支援集会で、裁判を応援するいい人たちとたくさん、繰り返し出合ってきたことです。大逆事件の伊藤野枝の"娘狽��w負って生きた故伊藤ルイさんのおだやかな佇まい、元最高検検事正の故松橋忠光さんからは「私もクリスチャンです。」と、おだやかに剥数樗されたりしたなどのことも忘れられません。
以下、西宮公同教会と2人の名前で荒木潔さんの告別式に届けた弔電です。


 
  「人としてあたりまえのことをしただけです」、どんな時にも変わらない表情でそう言っておられた荒木さん。裁判のあとの報 告集会で、毎年冬に開かれていた西宮公同教会での周年集会で、多くを語られないけれど眼鏡の奥からの優しいまなざしとともにいつもそんなことばをわたしたちに届けてくださっていました。
  1974年、桜が間もなく山々を明るく彩ろうとしていた、心明るくなる季節を迎えようというころに、その事件が起こりました。西宮のどこにいても目にすることのできる甲山、季節の移り 変わりを遥かその山をのぞむ人たちにずっと変わらず届けてきてくれている大切な風景、その山ですが、1974年のその時から、西 宮で起こったさびしい事件を表す名称ともなりました。そして時が果てしなく流れ、低かった桜の木が大きくなり、また植えかえられと、一体どれほどの時間がそこには流れたのでしょうか。
  幼かったわたしどもの長男は当時2歳、「かぶとまやのえっちゃん」と回らない口で悦子さんのことを呼んでいました。今年 彼は40歳になります。長い長い時間が流れました。3人の子どもたちは荒木さんや悦子さんをはじめ、甲山事件を自分の問題として向き合われた方々の優しさと厳しさを、彼らの心の中にいっぱい受け取りその生きざまを見て育つことができました。
=いのちを預かる職場で起こった衝撃の出来事、そこで過ごした 仲間がその後の人生をかけて向き合うことになったその出来事を、 一人の人間として以上に真摯に受け止め、ご自分の証言を「人としてあたりまえのことをした」と言われ続けた荒木さん。その荒木さんからわたしたちはほんとに多くのことを学びえたのでしょうか。わたしたちは過ごした時間の量と重さに比例するだけの生き方ができてきたのだろうかと、荒木さんの重すぎる時間を思う時 に恥ずかしさでいっぱいになります。
  ただささやかながらその事件に向き合い、事件からの長い時間 に身を置くことができたことは何よりでした。たくさんの出会い を与えられました。そして一緒にその時間を過ごした多くの先輩 方を遠い旅路に見送ることも多くなった昨今です。思いがけない 人生を引き受けられることになり、ただただそれを黙って引き受 けられ続けた荒木先生を、すでに神のみもとで過ごされている
 方々が神様とともに、今度は荒木先生をそして歩かれた長い人生 のすべてをうけとめるべく待っておられることと思います。どう ぞごゆっくりお休みください。長い間ありがとうございました。
2011年1月25日
西宮公同教会 
菅澤邦明 
  順子 
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