2月13日の教会学校の礼拝で“お礼”のことで、少し子どもたちと遊びました。子どもたちは5,000円札や10,000円札に、そんなに縁がありませんから、一葉や諭吉、中でも5,000円札が樋口一葉だとは、だれも答えられませんでした(実のところ、居合わせた大人の中にも、答えられない人はいましたが。一葉の作品「にごりえ」「たけくらべ」のことも)。
樋口一葉は、明治5年(1872年)の生まれで、明治27年(22歳)の頃から、その「にごりえ」、「たけくらべ」、「大つもごり」、「十三夜」などの作品を発表し、25歳の明治29年(1896年)に亡くなっています。原文は“擬古文”と呼ばれる、今時の人には読みにくい作品ですが、今もたくさんの人たちによって一葉は読み継がれているようです。その理由は、「・・・一葉の一作一作に、『どう生きていけばよいのか』と、一葉自身が困惑し、問いかけ、『いやだ!』と幾度も現実を、しかし現実にとどまり、格闘する魂が見えたからだ・・・」(「樋口一葉『いやだ!』と云へ」田中優子、集英社)だったり、「一葉は、実際には、人あたりもつつましく、話術もたくみで、礼節ある婦人であったと言うが、日記のなかには、実に烈しい気性の、心の奥深くまでが率直に解剖され、積極的に、自己の運命をきりひらかうとする女の、勝気な人生観が展開されている。短い生涯を、きびしくもまた、誠実に生きた現実の女として・・・」(「一葉日記(拙)」解説、中里悟子、新潮社)だったりします。亡くなるまでの貧乏な中、“慈母”、“愛妹”をやしなうにあたって、“借金”がままならないことで、「・・・浪天(なみろく)のもとへ、何となくふみいひやり置しに、絶て音づれなく。誰れもたれも、いひがひなき人々かな。三十金、五十金のはしたなるに、天すらをしみて出し難しとや。さらば明らかにとゝのへがたしといひたるぞよき。ゑ(え)せ男を作りて、髭かき反せなど、あはれ見にくくや・・・」(前掲、日記)と、世間の薄情を厳しく断じたりはするのですが、自分が作品を書くことでは一歩も譲らないで、22、23歳の一葉は渾身の力をこめて「にごりえ」「たけくらべ」などを書き続けていました。
西宮公同教会を会場に、25年間続いてきた“関西神学塾”の、設立の時から中心になって担ってきた一人が、桑原重夫さんです。1926年生まれの85歳です。現在神学塾での担当する講義は「使徒行伝を読んでみよう」と、少しとぼけたタイトルになっていますが、毎月一回の講義は文字通り「渾身の力をこめて・・・用意し」「渾身の力をこめて・・・語る」、そんな内容です。1月の講義では、「渾身の力をこめて・・・」をめぐっての、エピソードが紹介されました。「・・・新年になってから書いた85歳の年賀状に『渾身の力をこめて・・・』と、書いたら、ある人から「エエ年して、アホなことはやめとけ」と言われた。本当にそうやなと思う。足腰が弱ってなかなか早く歩けない。ここに来るのもヨチヨチしている。『聖書』もそう。『使徒L・O(・・)行伝』というのだが、なかなか進まない。サーッと旅するようなわけにいかず、山あり谷あり、急流や断崖ありで、なかなか前に進まない。でも、それはそれで面白くて、ほかでは知られない『初期のクリスチャンの生活や実態』が、ありありと分かってくる。ちょっと歩をゆるめると、景色(古代)が見えてくる。貴重な文書だ」(関西神学塾2011カレンダー)。渾身の力をこめて“行伝”と向い合う時、歩き旅した人たちの“山あり谷あり”“急流や断崖”に、そしてそのように刻まれた足跡、吐息が聞こえてきて、それは決して一様ではない、だから、渾身の力をこめて読むし、渾身の力をこめて読むのが歴史文書との向かい合い方であることを、56回続いている講義で、その都度、桑原重夫さんは語り続けてきました。
「きことわ」(朝吹真理子、新潮社、2010年度芥川賞)は、樋口一葉のように“渾身の力をこめて・・・”ではないにしても、ただ聡明なだけではない作者の、人生を引き受ける覚悟があって書き得る小説のように読めました。たとえば、主人公である貴子や永遠子の母の“不倫”のことが、ほんの少し書かれています。あるいは、貴子と二人で暮らしている父親は、「食事の片づけをしながら、この切れ目のない皿洗いの果てに老年があると言った。切れ切れにはさまれる立食パーティだのシンポジウムのあとの外食だのがあるとしても、結局、皿を洗って死ぬ運命にある。人は皿洗いの果てに死んでいくものだと言った」とも書きます。物語の筋がしっかりしていて、さり気なく挿入されているかに見える小さな出来事に、思わずハッとさせられるのは、この作者が、物事を確かなものとして見つめて生きている証しでもあるのです。
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