にしきた街づくり協議会の名のもとに、にしきた駅前公園の整備、そしてこの街のシンボルである津門川を、もっともっと街の人の身近な川にする為の整備に取り組んできました。この、にしきた街づくり協議会には、津門川の川掃除に取り組んできた人たちの"代表"(津門川の自然を守る会)として加わってきました。駅前公園の場合は、二つの小さな公園が一体となって広くなること、地下に駐輪場ができることなどとは別に、一番難しかったのは周囲の道路幅のことでした。西宮市は、道路管理の立場から、5メートル幅をゆずろうとしませんでした。5メートル幅では、従来のまま塾の送迎などで駐車場になってしまうことは目に見えていました。道路と公園との段差を少なくし、"乳母車"が安心して行き来できる、車が中心でない道路、そのために3.5メートルにするという提案が通るまでに、長い長い議論が必要でした。
津門川の方は、右岸(教会、幼稚園の側)を、"遊歩道"にするということで合意し、工事が始まりました。実際に始まってみると、ガードレールを付け替えることで少しだけ道路幅が広くなり、そのままだと車が通りやすくなってしまうことになりました。約束では遊歩道、人が中心の道路・津門川に沿って"植栽"するはずだったのに、西宮市は緊急車両の通行を理由に、植栽を認めようとはしませんでした。そしてまたまた議論を繰り返すことになり、先日やっと"まちかど植栽"ということで、ほんの一部植栽を認める提案をしてきました。
道路は、人のためではなく、車のためのものになってしまっていることを、つくづくと思わされてきました。
「ちいさいおうち」(バージニア・リー・バートン、いしいももこやく、岩波書店)の"ちいさいおうち"は、ただそこにあっただけなのに、気が付いてみたら、街の中の異物になってしまっていました。太陽の光で一日が始まり、夜は月や星の瞬きが広がる空でした。ちいさいおうちの周囲では、春の花、鳥の鳴き声、秋にはちいさいおうちの周囲全てが紅葉で彩られ、冬にはちいさいおうちの周囲は一面の冬野原になりました。ところが、ちいさいおうちの周囲に、広い道路ができ、車が走るようになり、高層の住宅が建ち、夜になっても街には街路灯が灯るようになりました。鉄道の上に鉄道が走り、大小の車が増え、ますます高層になる建物でちいさいおうちは隠れてしまい、人は増え、人はいそがしく行き来し、車のひしめきあう街で、ちいさいおうちの存在は忘れられてしまいました。
という、ちいさいおうちだったのですが、子どもたちが気付いて、子どもたちの力で、もう一度自然の中に戻ることになりました。その時に、もう一度、朝は太陽の光で始まること、夜は暗いけれども空には月や星が広がっていること、春があり、夏があり、秋があり、冬があること、そこにはたくさん生きものの営みと出会いがあることが、「ちいさいおうち」には描かれています。人の生きる生活、世界は、たくさんの生きものの営みとの出会いがあって、"安らぐ"ものであることを、「ちいさいおうち」で、バートンは描きました。
夜、星と月の下の、ちいさいおうちは、心なしか、にっこりとほほ笑んで見えるのです。
津門川に沿って歩いてみて下さい。石垣には、数え切れない生命の営みが繰り広げられ、見つめると、ちょっと恥ずかしそうに首をかしげる鴨にも出会えます。右岸には、ほんの少しですが、植栽帯もできることになっています。"御影石小舗石"で囲まれ、"まちかど植栽"と呼ぶのだそうです。
(文庫だより4月号より転載)
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