東北関東大地震・大津波の後「じしんなんかにまけないぞこうほう」で、主として東京電力福島第一原子力発電所で起こった事故のことを書いてきました。原子力発電所が壊れるような大きな事故のことは、1986年のチェルノブイリ原子力発電所の炉心溶融・メルトダウンについて書かれたもので、少しは知っていました。その原子力発電所の炉心溶融・メルトダウンが、日本の原子力発電の現実になることは考えませんでした。それが起これば、誰も止められない、あってはならない事故、それが原子力発電所の大きな事故だからです。
原子力発電所の大きな事故・メルトダウンが起こってしまいました。受け身ではなく、自分の言葉で書いて向い合う、それが3月17日から始まりました。
東北地方で大きな地震があったことを知らされたのは、街づくりの会議が終わってからでした。緊急に集まる提案も、集まった時も、どこか余所事に見えました。その日の別の集まりも、それまでと同じ日常であることに違和感がありました。その日の夜から、おびただしい情報の嵐にされされることになります。自然災害は、起こってしまったその時、どうであれそこから新しい一歩を始めるよりありません。東京電力福島第一原子力発電所の事故は、終わりそうにない始まりを予感させるものがありました。電源の全てが断たれ、暴走しはじめた原子力発電所からは、聞き慣れない言葉も伝えられてきました。大量の放射能が大気中に放出される“ベント”などの言葉です。原子力発電所が大きな事故・メルトダウンになったのです。受身ではなく、それを見つめ、自分の言葉で書いて向い合う、それが「じしんなんかにまけないぞこうほう」です。
決して起こってはならない、起こってしまえば取り返しのつかない事故と向かい合い、かつ言葉にするのはた易くありませんでした。原子力発電所が大きな事故で、燃料が溶融する時の温度は決して人を寄せ付けない2800℃です。充満し漏れ出す放射能も決して人を寄せ付けません。人の作ったものが壊れた時、人の手には負えなくなってしまう、それが原子力発電所の事故です。起こらないことになっていた事故が、東京電力福島第一原子力発電所のメルトダウンです。
壊れてしまって、決して人を寄せ付けない原子炉から高濃度の放射能が大気中、海に放出され、人々の生活の営みを根底から脅かしています。
最悪のことが起こって、それを止めることも逃れることもできない時、何によって立ち向かうのかが問われています。人は、ささやかな一歩をささやかに積み重ねることで生きているのに、圧倒的な暴力がそれを粉々に打ち砕いてしまう、それが原子力発電所の事故です。受け身ではなく、それを見つめる自分の言葉で向い合うことが、3月17日からの営みの中心になりました。少しでも立ち止れば言葉が見つからなくなってしまう状況の一日一日が、その日から始まりました。
「じしんなんかにまけないぞこうほうNo.33」に、その日の朝に読んだ旧約聖書箴言の言葉を紹介することになりました。箴言第4章6~7節は「知恵を捨てるな、それはあなたを守る。それを愛せよ、それはあなたを保つ。知恵の初めはこれである。知恵を得よ。あなたが何を得るにしても、悟りを得よ・・・」です。知恵は「近代科学において典型的な形で見られるような、世界に関する方法的・理論的な認識活動、あるいはそのような活動を通して獲得される知識の総体としての知恵と思っている」何かではなく、「実生活の中で、さまざまな問題や困難に遭遇する。これらの日常の課題を巧みに解決・処理し、時と場合に応じて適切に行動する能力」なのだと解説されます。(「旧約聖書 箴言」解説、勝村弘也)。と言われている知恵を駆使したとしても、原子力発電所が並んで3つメルトダウンするような大きな事故を、「巧みに解決・処理」できるようには思えません。出来そうなことがあるとすれば、解決も処理もできない、更なる最悪を引き受ける覚悟のように思えます。広瀬隆が「福島原発メルトダウン」(朝日新聞出版、2011年5月)で「福島第一原発事故というような原発災害による放射能汚染は、あまりにも大きくなりました。私たちはどうすべきか」「とくに若い世代、幼児、妊婦や若い女性は、約250キロメートルを最低限の退避圏」とすること「30歳を超えた個人は危険性を自ら判断し、人生を選択できるようにした上で、農家と漁業者を守るためにすべての出荷制限を取り払い、みながすべての放射能汚染食品を食べるほかない。汚染水も飲む。政府は『ただちに健康に影響はない』と言い続ける。」「福島県の学童は、原発内の労働と同じ条件(既に、一般公衆の被ばく防止のための放射線量、毎時0.6マイクロシーベルト)に達しています。一刻も早く、授業を中止して、学童疎開をしなければならない」と書いているのも、解決も処理もできない更なる最悪を引き受ける覚悟のように思えます。
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