8月20日に、石巻栄光教会・栄光幼稚園を会場に開催される夏まつりに、西宮公同教会から5人の学生が参加することになっています。当初、このボランティアは交通費など全額を主催者が負担することになっていました。「災害ボランティアは現地集合、現地解散が原則だ」という意見もある中、関西方面からだと、仙台まで夜行バスを乗り継いだりした場合の往復の旅費の上限15,000円を、希望すれば支給することになりました。ボランティアの働きや定義については、いろんな理解があります。16年前の兵庫県南部大地震の時、訪ねてきたボランティアに「何をしたらいいですか?」と聞かれて困ってしまいました。すること、してもらいたいことは、数え切れないくらいありましたが、そのことの手配に時間を割けるほど被災地も被災者も余裕はありませんでした。大きな自然災害とその結果のすべてが押し寄せる状況で、「何をしたらいいですか?」と聞いてくるボランティアに、気を配る余裕はなかったのです。大きな自然災害の現場に足を踏み入れるボランティアは、「何をしたらいいですか?」ではなく、被災の様子や被災地のことがおおむね理解できていて、自分ができそうなことが解っていて、その上で現場に足を踏み入れた時、自分の力量でできそうなことを洞察してすみやかに行動に移していく時、その人は被災地と被災者にとって必要なボランティアです。もちろん、その場合のボランティアは、自分の身の回りのこと、即ち就寝に必要なもの、食事、健康管理などの備えができていることが条件です。
大きな自然災害であればあるほど、失うものが多いのが被災地であり被災者です。住宅を失い、家族を失い、仕事を失うなどが重なって、途方に暮れている人たちを支援することが難しいのです。今までの生活のほぼすべてを失って、生き残った人たちが、そこから先を生きにくくなるのは、失った事実が大きいからです。生きるということは、一人の人の単独の営みではありません。この世に生を受けてから(・・・いいえ、生を受けるずっとずっと以前から)たくさんの人たちと生きる営みを共有し合って生きてきました。そこには必ず、歩いたり走ったりした道、遊んだり出会ったり別れたりした街角、そこから見えた夕陽などの、場所や光景などの記憶と一体となっているはずです。大きな自然災害が奪ってしまうのは、それら一つ一つの、人として生きてきた時の手がかりです。記憶をつなぎ呼び起こす手がかりが奪われてしまうのです。
大きな自然災害の現場に足を踏み入れた時に出会うのは、壊れた街の無残な姿であり、それを引き起こした力であるのはもちろんですが、生きてきた証しであり手がかりを奪われてなお、生き続けなければならない人たちです。
石巻の夏まつりには、西宮公同教会から5人の学生が参加することになっています。一人をのぞいて、大きな自然災害の現場にボランティアとして足を踏み入れるのは初めてです。
石巻の夏まつりでは、主催者の「落語会をしたい!」という希望に、にしきたで落語会を開催してきた経緯もあり、桂雀三郎さんと桂あさ吉さんを紹介することになりました。
石巻は東北・関東大地震・大津波での死者、行方不明者22,600人余りのうち、死者(遺体数)3,119人、行方不明者2,770人(6月末現在)と、最もたくさんの犠牲者を出すことになった被災地です。その当時の石巻市の人口は162,822人でしたから、およそ30人に1人が亡くなった(行方不明になった)ことになります。石巻市だけで、16年前の兵庫県南部大地震の時の死者に近い数なのです。
私立日和(ひより)幼稚園の送迎バスで5人の子どもたちが亡くなったのも、大川小学校の74人の子どもたちが亡くなったのも石巻です。
桂雀三郎さんと桂あさ吉さんは、追加のプログラムで、東京電力福島第一原子力発電所から放射能で計画的避難地域となった飯舘村の人たちが避難している仮設住宅でも落語会をすることになりました。伊達市伏黒伊達東公民館、伊達東応急(飯舘村)仮設住宅です。落語会を案内するチラシには「上方落語界の桂米朝一門で、桂枝雀直弟子のベテラン落語家桂雀三郎さんと、桂吉朝の一番弟子桂あさ吉さんを、東北の人たちの笑いを応援する“笑援隊”としてお届けすることになりました・・・」と書かれています。雀三郎さんもあさ吉さんも、19~21日までの3日間、ボランティアで出演します。
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